不運なJKの日常。 -3ページ目

不運なJKの日常。

人生ついてないことだらけの、不運なJKのブログです

人生、山あり谷あり。
私の人生上り坂。
そんな私が幸せになることもちゃんとありますよ?
そんな時に限って不運に襲われます....

ま、興味のある方はのぞいてってください。

お久しぶりです!!

なかなか更新できなくて申し訳ありません(;´・ω・)

今回は私の過去と今について話そうと思います!

何個かに分けて更新していきます!!




私は母が19の時に生まれました。
父も19だったと思います。
お金があるわけじゃなかったので、そんなにまともな生活はできませんでした。
そして、私が生まれた翌年、妹が生まれました。
その頃から母と父の仲が悪くなり始めて、離婚しました。
そのあと母は私と妹を連れて実家に戻りました。
お金があるわけじゃなかったので、母は働きました。
夜はスナックで働いて、昼間は寝るという生活を送っていました。
もたろん、昼間ねるので、娘たちの世話はできません。なので祖母に育てられました。
こんな生活が、私が小5の時くらいまで続きました。

その間の話をします。

母は気の短い人でした。
ちょっとしたことで腹を立てて物に八つ当たりするような人です。

私はほかの人達と比べて行動が遅い子でした。
それに対して母はよく怒りました。
怒鳴るだけならよかったけど、終いには手を上げるようになりました。
学校の日、起きるのが遅かったり準備が少し遅れることはよくありました。
すると、母は「何チンタラしてんだよ!」そう言って私を蹴ったりすることはよくあることでした。
私が小学校に入学したある日、私はまた準備が遅れてしまいました。
急いで外に出ると、母が送っていってくれると言うので家に戻りました。
そしてまた家を出て、車まで母と歩いていると、「アンタのせいで時間無駄になったでしょ!」そう言われて、つま先のとがったピンヒールですねを蹴られました。
痛くて歩けずにしゃがむと、「アンタが悪いんだから早くしなさい!」そう怒鳴られました。
学校に行って足を見ると、青黒くアザができて腫れていました。
それからはつま先のとがった靴が怖くなりました。
トラウマというやつでしょうか。
母のことも母親だと思えなくなりました。
だから、私には母も父もいないようなものでした。
母親の愛情もわからず、父親からの愛情もわかりません。
そんな状況で私は生まれ、育ちました。


第一話終了。

次の投稿も過去のことから始めます!!

よくわからないような内容で申し訳ありません“〇| ̄|_