友断ち 1 | bemieの汚部屋

bemieの汚部屋

汚いお部屋で・・・生きてます。
夫と死別、さまよえるひとりごと。

こんな友達はいらない

 

主人が亡くなって一週間を過ぎた頃、

 

「いい人が居るんだけど。

ちょっと早いと思ったんだけど」

 

「姉がお見合いドタキャンした相手なんだけど」

 

「沖縄出身なんだけど、今神奈川で。」

 

「ちょうどいいと思って」

 

「bemieっちにピッタリだと思ってさ」

 

と電話してきた友達がいた。

 

姉がお見合いをドタキャンした相手?を友達に紹介?

しかも、夫と死別して一週間という友達に?

 

その後も無神経なことが重なり、現在は連絡を取っていない。

 

やんわり、距離をとらせてもらい

電話もラインも削除した。

 

神経を疑う。

心が死んだ。

呆然となった。

 

「そうなんだ」

「ありがとう」

とか答えたっけ。

 

 

しかし、心の中では

 

「あなたの大切な旦那様が亡くなった時に、同じことを言われたらどう思う?」

 

「そんなに良い人なら、あなたの旦那が●んだときの為に、キープしとけば?。私は遠慮する」

 

と思っていた。

 

だが、それは言わなかった・・・

というより

言えなかった。

 

疲れていたのだ。

何も言う気になれないほどに。

 

主人の事だけで精一杯。

余計なことに使うエネルギーがない。

怒りや悲しみや不快な気持ちをぶつけるだけのパワーがない。

 

くだらない話は勘弁してほしかった。

聞いているだけで疲れる。

 

ただただ、早く電話を切って横になりたかった。

 

 

主人が亡くなっただけでも、このうえないストレス。

悲しみに打ちひしがれ、どん底にいる相手に対し

わざわざ電話してきて、

亡くなって一週間・・・

このタイミングで言えるものだろうか?

 

彼女は彼女なりに“私の為”を思ってのことなのだろう。

だが、相手のことを思っていたら何をしても、何を言ってもいいというものではない。

 

相手の立場を考えて、思いやって、

自分の立場に置き換え、考えてモノを言うべきだ。

 

「友達とは“何でも言い合える相手”でありたい。」

彼女は常々よくそう言っていた。

確かに、そうありたいし、理想だと私も思う。

 

しかし、この人は

“何でも言い合える”と“何を言っても良い”

と同じだと思っている。

全く勘違いも甚だしい。

 

私には、彼女に自分が思っていることを伝えてまで、友達関係を続けるだけの気力はない。

 

友達を失うのは悲しい。

 

だけど、この人は友達だと勘違いしていただけで友達ではなかったのだ。

 

彼女が“そんなつもりではない”

私に対して嫌な事をしているという意識がない・・・というのはわかる。

そんなつもりで言ってくる人は・・・いないと思う。

 

だが、“そんなつもりではない”

に付き合えるほど、今の私はタフではない。

 

 

こんな友達はいらない。

 

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