「で、最近はなんかあるの?」これが意図するのは、最近彼氏(彼女)ができたか、もしくは気になる人ができたかどうかで、つまり恋愛トークに突入するサインである。もし私がここで、「あ、最近ねKALDIで美味しいマロンのお菓子見つけた!」と言ったらどうなるだろう。一気に冷めるだろう。ぜひ今度実験してみたい。ただ私が疑問に思うのは、どうして私たちは恋愛話をする必要があるのだろう?2人で会話しているのに、どうして第三者の存在が最も熱く盛り上がるのだろう?しかも面白いのは、こういった話は大抵会話の終盤にくる。会話し始めて20分以内は、必ずと言ってもいいほどこの話題を避ける。そしてある程度時間が経ち、ひと段落したところで私たちは気づく。「ああ、来るな。」と。まるで、それまで話していたことはあくまで助走で、その後のメイン話題(恋愛)の背景説明だ。この序盤の会話での相手の反応は大体、「あ〜そうなんだ!」「へ〜」「すごーい」だろう。大して意見を言ってこないし、共感しようとしてくるから大して盛り上がらない。しかし、メインに入ったとき、反応は見事に変わる。アドバイスすらしてくる。「それはやだ〜」と反対意見も出してくる。そりゃこの話題が盛り上がるのは当然だろう。だって、意見が飛び交うから。「会話」とは、意外と難しいものである。共感と同情(この2つは私は同じことだとは思っていないが)にまみれた会話は全く面白くない。しかし、人生は十人十色であり正解はないのだから、人の選択に対していちいち反対意見をするのもおかしい。言われた本人は嫌な気しかしない。じゃあ人はどうして恋愛話にぐいぐい入って議論したがるのか。「私そういう駆け引きとか苦手」「よくずっと連絡とってられるね〜」とか、どうして人の恋愛の仕方に対して平気で否定体制に入れるのか。私の推測として、おそらく私たちは恋愛話を恋愛話として見ていない。恋愛「相談」話として見ているのではないだろうか。つまり、気づかぬうちに恋愛話を聞かされている者は「聞き手」から「相談役」になっており、そうなることでどんな反対意見を言うことも許される。気付かぬうちに議論が始まっており、ここで私たちは気づく。「ああ、私たちは今お互い心を開いたんだ。」と。これが間違ってるとか間違っていないとかはここではどうでもよく、私なりに生み出した(一部の人の)会話のロジックである。一つも証拠はない、全て勘だ。