SRS記録3 手術~退院【地獄の6日間】 | MAIの気ままブログ

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タイで性別適合手術を受けたトランス女性です。
性別を変更して、社会に適合していくために奮闘しています!

いよいよ人生が変わる手術の日です。

手術内容や人によって体の状態や苦痛は様々だと思いますが、
私の場合は手術以外の部分で地獄を見ることになりました!

忘れることのない6日間の貴重な体験です。

手術当日 【麻酔で一瞬】

午後からの手術だったので、手術着に着替えて、点滴を付けられて待機します。

まだ多少余裕ありました

それからはるみさんが迎えに来て、ここから車いすに乗って手術の階まで運ばれていきます。
複数の看護師さんたちに色々確認されて、ベッドに移されます。
ここではるみさんとお別れです。

行って参ります!

はるみさんがいつまでも見守っていてくれたのが、気持ちの支えになりました。

手術室に入ると、みなさん慣れた手つきで準備を進めてくれていました。
呼吸用のマスクが慣れないこともあって、少し息苦しくてちょっと不安になりました。

何となく麻酔入れるよ!少し痛いよ!って言ってるのが伝わってきて、
少しチクッとしたなと思っていたら…意識がなくなったようです。

地獄のリカバリールーム

次に気が付いた時にはリカバリールームでした。

私はSRSと同時に声の女性化手術もしていたので、はるみさんから聞いた話では、
手術は7~8時間ぐらい、夜の20~21時ぐらいに終わったそうです。

ガモン先生たちは毎日夜遅くまで執刀されていてすごいなと感心していました。

寒い・暑い・痛い・眠れない

リカバリールームで気が付いた時は、体が冷えていたのか、大きくガクガク揺れていた気がします。
何人かのナースさんがタオルをかけてくれたり、熱風を当ててくれていたのが分かりました。
少し気持ち悪さもありましたが、こちらはしばらくしておさまりました。

それでも感覚がおぼろげで、意識がはっきり覚醒していなかったのを覚えています。

次に目が覚めた時、今度は意識がありました。
時間は24:00を過ぎていたと思います。
寒がっていたため、電気毛布やタオルがたくさんかけられ、今度はめちゃくちゃ暑かったです。
下半身の様子はまだよく分からないけど、体は起こせないので、ベッドのフレームを叩いてナースさんを呼びました。
言葉が通じないので、暑いのジェスチャーをして毛布など、おそらくたくさんかけられていた物を取ってもらいました。暗いし、体が動かせないので、状況はあまり把握できませんでした。

そして、早くもここから私の地獄が始まりました…

腰痛です!椎間板ヘルニアです!
退院するまでSRSの痛みをほとんど感じないぐらい、腰の痛みが地獄でした。

腰が沈むマットレスだと、普通に寝ていても腰が痛いので、いつもはせんべい布団で寝ています。
それでも7時間以上寝ているとだんだんと痛くなってきて目が覚めてしまう感じです。

この時点で既に10時間ほど、退院まで6日間もベッドで寝たきりです…
事前にはるみさんに、こっちの方がやばいかもって相談はしていましたが、なすすべなく激痛の日々となりました。

ナースさんに腰の下にタオルを置いて欲しいと伝え、気持ち少し楽になったような、分からないまま耐え忍んでいました。結局リカバリールームで目が覚めてからは寝れたかどうかよく覚えていません。

悲鳴をあげるルームメイト

自分のことでいっぱいいっぱいでしたが、少なくとももう一人は同じく手術後の方がいたみたいです。

最初小さい声で「痛いよ… 痛いよ…」と日本語で聞こえてきて、同じように苦しんでいる人がいて頑張っているんだって思い、少し冷静になれました。

だんだんと声が大きくなり、「痛いー!!」と部屋中に聞こえると、ナースさんが2,3人駆けつけ対応していましたが、苦痛の声はエスカレートしていき、やがて部屋の明かりが全部付けられ、何か対処されたのか分かりませんが、落ち着いたようでした。

SRS自体の痛さも人によって違うと思いますし、事前に調べていた時に豊胸手術で、入れる箇所によってはSRSとは比べ物にならないほど痛いというのを見ていたので、それなのかなとか、暗闇の中あれこれ考えていました。

私は声帯周りの手術をしていたので、一週間はしゃべってはいけないと言われていました。
何かあった時に声を出して呼べない怖さを感じていました。
ナースコールの存在を知ってから、これが生命線のような存在になりました。

そんな生きた心地のしないリカバリールームでしたが、朝6:00ごろ移動となりました。

病室までベッドを移動されていくのですが、とにかく吐きそうなぐらい頭がグラングランして、特にカーブはやばかったです!
横に洗面器があったのですが、使わずに到着しました。そもそも何も出なそうと後から思いました。

術後1~2日目 暗い部屋・腰痛と頭痛

病室ではある程度ルーティンが決まっていて、

  • 朝食7:00ごろ(日曜は9:00ごろ)
  • 患部の消毒、冷やすアイスの交換
  • 体を拭いてくれる
  • 昼食12:00ごろ
  • 患部の消毒、アイスの交換
  • 夕食18:00ごろ
  • 自由に就寝(長い夜)

また、毎食後にはナースさんがお薬(抗生物質)を持ってきてくれて飲んでいました。定期的に尿カテーテルのたまった尿を排出してくれたり、寝ていても検温や、血圧測定がありました。お仕事とはいえ、献身的にお世話して下さいました!

液状の食事

術後3日までは液状の食事でしたが、あまり空腹を感じなかったし、尿カテじゃない方のおトイレに行きたくなった時は、ベッドの上でらしいので、どうか来ませんようにと祈っていました。

術後1日、2日は部屋も暗いままで、腰は相変わらず激痛で寝がえりも打てず、さらにもう一つの持病の頭痛もひどくて、これがまだ何日も続くのかと痛みに悶えながら先の見えない辛さがありました。

術後3日目 体の管が取れていく

枕が高いのが苦手なので、頭と腰の下にバスタオルを敷いていました。
またリクライニングを少し起こしたり調整して、いくらか頭痛・腰痛がおさえられました。

3日目は午前の消毒の時にナースさんが抜糸をしてくれて、血液を排出するカテーテルが2本外されました。
その後、ガモン先生も見回りに来て「OK~!!」と言われていました。
ちょっとホッとしました。

夜には点滴も外され、残りは尿カテだけになってだいぶ気持ちが軽くなりました。

術後4日目 体が元気になっていく

4日目からは普通のご飯が選べるようになり、少し食事の楽しみが出てきました。

サラダっぽいの
パスタ美味しかったけど、ちょっと量が多く感じました
カニチャーハン。パサパサで唯一美味しく感じませんでした

食事には毎回ウイダーインゼリーのようなゼリーやジュースも付いていました。

少しずつ体も動かせるようになってきますが、ベッドから動けないので暇を持て余すようになりました。

ヒイロ「死ぬほど痛いぞ」同意

スマホで動画を見たり、YouTubeを見たりして時間をつぶしていました。

Switch Lite も置いておきましたが、ゲームはやる気が起きなくて起動しませんでした。

喉のチェック

喉の手術をしてくださった(通称)ドリーム先生が見に来られました。
※タイは通称名を取得する人が多いそうです。手軽に改名的なことをできるそうな。

「大きく咳き込む時などは、軽くのどを手で押さえてね。水分多めに取ってね。」
と言われていました。

喉の痛みはほとんどありませんでしたが、声を出そうとしても出なかったと思います。
しゃべっちゃダメと言われていたので、あまり出そうとしませんでしたが、この頃から”ささやき声”は出せることが分かってきたので、静かな病室ではるみさんとは会話できるようになりました。

術後5日目 詰め物が取れた

だいぶ体も元気になり、リクライニングをかなり起こしたり、ベッドに寝たまま足踏みをして動かすようにしていました。

カルボナーラ 美味しかった
大好きなガパオライス♪ 病院なのにけっこう辛かったけど美味しかった。
ポケモンは世界共通みたい

5日目はお昼前に詰め物を取りました。
足を固定するセッティングをされて、ガモン先生が少しずつガーゼか布のような詰め物を出していったと思いますが、全然気が付かないぐらい痛みはありませんでした。
その後ダイレーターを入れて深さを計測して14cmと言われました。
まだ自分の体に違和感はありましたが、少しずつ実感が沸いてきました。

久々の直立、そしてシャワー

午後にはナースさん立ち合いでベッドから床に下りましたが、思いのほか足の筋力が衰えていたようで、太ももがプルプルして体を支えるのが不安定でした。また少し気持ち悪さを感じるようなフラ付きもありました。人間寝たままだとこんなにも衰えるものなのかと、老後の不安がよぎりました。
ゆっくり部屋の中を歩いてから、シャワーを浴びました。
イスにゴムの円座を置いて座りながらでしたが、痛みはありませんでした。

嬉しいのと、体を早く元通りにしたかったので、2時間おきぐらいにベッドから降りて部屋の中を歩いていました。体も気分もとてもスッキリしました。

術後6日目 退院の日にアクシデント

歩いたり、歯を磨いたりできるようになったので、そろそろだと朝のさわやかなお通じを試みましたが、ここで予想外のことが起こり、かなりの地獄を味わうことになりました。

ムリしない程度にいきんでいたつもりでしたが、尿が勢いよく出ようとしたみたいで、尿カテがズレてしまいました。

中途半端に尿がたまったり、少し垂れ流してしまったり、たまにうまく排出されないで膀胱が圧迫されるようなヒヤッとする痛みと怖さがありました。

とにかく膀胱が圧迫されるような時は、破裂してしまわないかという感じたことのない危機感と恐怖があって、すぐはるみさんに連絡して苦しいし怖いと伝えた所、急きょ尿カテを外すことになりました。

退院前のベッドの上でガモン水をひたすら飲み、尿カテをしばっていても、たまに垂れ流しになってしまい、うまく膀胱に溜めれない状況の中4回繰り返して、トイレで尿カテを外すと同時に自力で排出できた(勝手に出てしまった)ので、OKと言うことになりました。

この時に尿カテが外れていなかったらと思うと、今でもとても怖いぐらいの体験となりました。
またこの時の異常な圧迫で変にクセがついてしまったのか、この日は寝るまでずっと10分おきぐらいに、尿意を感じるとすぐに排出してしまい、全然我慢できない状態でした。
バスタオルとその下にビニール袋を何枚も敷いて寝ました。

翌日から少しずつ我慢できる時間が伸びていきましたが、夜中に尿意を感じて何度も起きる日が続きました。

地獄の入院生活からの生還

尿カテ事件もおさまり、いよいよ退院となりました。

SRS以外の部分で苦しい痛い思いがありましたが、緊張と必死さで意外とあっという間だったような気もします。

私の場合は全然声が出せなかったので、たくさんお世話してくれたナースさんたちにお礼を伝えたいと思い、お手紙を書いていました。

タイ語はむずかしい…

スマホの翻訳を見ながら、体を起こすのがまだ痛いけど、慣れないタイ語を書いてみました。

内容はうろ覚えですが、
「声が出せなかったので、お礼を言うことができませんでした。
本当にありがとうございました。
タイ語を書くのは難しいです。」そんな感じだったと思います。

ナースさんも声をあげて笑顔で喜びを伝えてくれたので、少しでも思いを伝えられて良かったと思いました。

ナースさんたちは淡々と検温や消毒をしてくれていましたが、たいていは何かおしゃべりしながらが多かったです。
はるみさんはお仕事中だからというのもあって、あまりよくは思っていないそうでしたが、私は無言で粛々と作業をされると息が詰まってしまいそうなので、会話して笑いながら対応してくれていたのが、かえって気が楽になっていました。本当にありがとうございました。

そして病院の1階に降りてきて、いかにも写真どうぞというようなソファーの背後の壁にガモンのロゴが大きく書かれた映えスポットで記念写真を撮ってもらいました。

痛いのを我慢して座っていました(笑)

同じく退院したばかりのFtMさんと一緒に滞在ホテルK-Gardenに車で送ってもらいました。
声も出せない、歩くのも痛い私と対照的に、FtMさんは入院していたとは思えないぐらい元気に歩き回っていました。
近しい存在と思っていたけど、FtMさんのことをあまり知らなかったんだと気づきました。

こうしてホテルに戻って荷物をおろして、一息つけました。

思い出となるお部屋

退院後の部屋は、手術前の部屋とは違って、大きなベッドが1つのタイプでした。
シーツや掛布団が大きいなと思いましたが、すぐに慣れて快適に過ごせました。

夕食ははるみさんが差し入れでパッタイを持ってきてくれました。
とても動けなかったので助かりました。思ったより食欲もあって、食べきれました。

パッタイ 実はエビが苦手でした

ただ、これからのリハビリのことや、寝る時の姿勢、私の場合はトイレがあまり我慢できないことなど不安も多かったです。
それでも手術からの回復力などを実感して、人間ってすごいんだなと生命力を感じました。
またこの先も何度か実感しては、自分の体や医学の力に感心していました。

なんとかなる。なるようにしかならない

ある程度大変なことは覚悟していましたが、やっぱり大変だったり、予想していなかったこともありました。でも不安の中で思っていたことは、(自分の知る範囲で)失敗したという話を聞いたことがなかったので、「きっと大丈夫。なんとかなる。」と言い聞かせていました。

不安もあるけど、世界から多くの人が来るぐらい実績があるからタイを選んだし、これからの人生のことの方がよっぽど大変なことが多いと思います。

覚悟を決めたら、あとは身をゆだねて少しでも楽しいことを考えたり見つけたりするのがいいと思いました。

後から振り返ると、あっという間だったなと思います。
ここから新しい生活がはじまりますので、どうか楽しい思い出となりますように。