どーもヒゲです!
ついに関東が梅雨明けしたそうで、まぁ具体的にいつが梅雨だったんだ?てなことを考えるこの頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
先日、会社の先輩とどうしたわけだか「踏み絵」の話になったので、「踏み絵」を「仕事術」的に考察してみたいと思います。


 まず、「踏み絵」ってすごく効果的な仕組みだったと思うんですよねー。
キリシタンをあぶりだす効果そのものも勿論ですが(宗教迫害には反対ですが)、隠れキリシタンとして絵を踏んだ人達も、余程気持ちを強く持っていないと内心に権力への「敗北感」が残るんですよ。あるいは信教への「裏切り感」ですね。
一回一回はほんの少しの「敗北感」かもしれません。でもそうしたちょっとの敗北感を積み重なると、次第に「敗北」することに慣れていってしまうんですよね。そうして徐々に「敗北」に慣らされて、「信仰」は捨てないにしても、「権力への服従」を受け入れ、「魂」を殺されていってしまうんです。『蟹工船』(※1)のセリフを借りれば、「小刻みに殺されている」んです。
(…ま、元々キリシタンは「反権力の集団」ってワケじゃないので権力に服従しても問題はないのですが、自分達を弾圧している「権力」への服従は、実のところ「迫害の肯定」にもつながってくる問題なのです。その問題から目をそらし、「信仰を守るために迫害を黙認する」構図へとうまくもっていっているのだと思います)

※1『蟹工船』---プロレタリア文学…えーと、共産主義的思想の文学の名著で、数年前にどうしたことだかちょっと話題になりましたよね。蟹を取って加工する船「蟹工船」を舞台に、劣悪な労働環境で働かされる工夫達が共産主義思想に触れ、やがて一致団結して立ちあがる姿を描いた作品です。「殺されるとなったら俺だってやるよ!」「今まさに殺されてるんでねぇか!小刻みによ!!」というセリフがあるようです。
「あるようです」って、読んだんちゃうんか!って話ですが、ヒゲは「なめこ文学」で読んだだけなので詳しいことは一切知りません。あしからずうでからず。


 会社でも実はこの「踏み絵」制度は形を変えて健在です。
半強制的に飲み会に参加させられる。
特に意味があるわけでもないのに、必ず職場の人達と一緒にランチにいかなければならない。
上司から「ホントにそれやる意味ある?」って思うような無意味な命令をされる。
実はこれらが全て、現代版の「踏み絵」なのです。
無意味な飲み会に参加し、無意味なランチツアーに参加し、上司の無意味な命令に従い、そうやってちょっとずつ魂が殺されていくんです。
やがて魂が殺されきって、「会社の奴隷」として仕上がると、「会社の評価」が上がり、「課長」や「部長」になれ…るかもしれません。自分の「夢」や「働き甲斐」や「家族」や「私生活」と引き換えに、ですが。
引き換えても「なれるかもしれない」程度の話なんですよねーこれがまた。

 それでも出世したいんだ!という人は止めませんが、「そんなもんまっぴらごめんだ!」という人には、これもやはり「隠れキリシタン」の先人達の知恵が参考になるかと思います。

 踏み絵は後期には「踏み絵を踏んでも内心で信仰を持ってさえいればよい」としてあまり効果が上がらなくなったようです。
つまり彼らは、「踏み絵」を「自分達の信仰とは無関係なもの」として切り離し、「踏み絵」によってもたらされる「敗北感」や「裏切り感」を「滅却」したのです。
(そもそもキリスト教をはじめとした、唯一絶対全知全能天下御免の「私は在る」の神を信仰する宗教において、「踏み絵」のような「偶像」は本来「価値を持たないもの」なんですけどね…)
「で、つまり無意味な飲み会を具体的にどう乗り切ればいいんだ?」と思われるかもしれませんが、実のところこれを会社の「踏み絵」にどう応用するのか?は人それぞれだと思います。あくまで概念的な話なので、「滅却」する具体策はイロイロあるよ、ということです。
まぁ一つ具体的に言えば、「会社の踏み絵」を「無関係なもの」にするわけですから、例えばいっそ「無視してしまう」のが一つの道です。

…それができりゃ苦労してないんだよ!という声が聞こえてきますね。えぇそりゃそうでしょうね。ごもっともなことで。
というわけで、別の道としては、「踏み絵としての機能をなくさせる」ことではないでしょうか。

 例えば飲み会に関して言えば、「無意味な飲み会に参加させられる」ことが「踏み絵」なので、積極的に幹事となることで自分の飲み代をちょろまかす、というのも一つのテですね(軽度の横領ですけどね)。つまり、(横領するかはともかく)無意味だけどコストも少ない飲み会」にするわけです。「コストが少ないから参加する」のであって、「会社で半強制されて参加する」のではなくなるので、「踏み絵」としての機能はなくなります。
 もしくは、自分が狙ってる女子社員を会社の飲み会に誘っちゃう、とか、飲み会を「自分にとっても有意義なものにする」のもテです。
…女子社員を誘うのはセクハラになる危険もはらんでいるので注意が必要ですが、飲み会を積極的に楽しんでいる人、いますよね?彼らはまさに「有意義なものにする」ことで「踏み絵」を回避している…か、もう「仕上がっている」人達なのです。「楽しむ」のはいいですが仕上がらないように気をつけてくださいね。
 あるいは、無意味な飲み会のいつものメンバーにコッソリ根回しして、「無意味な飲み会の廃止」を総意として廃止してしまうのは最も効果的な手段です。「天草四郎の乱」のスタイルですね。まぁ根回しで政治的に解決する分、天草四郎のように玉砕はしないでしょう。ハードルが高いことには変わりありませんが…しかし「小刻みに殺される」ぐらいなら立ち上がるべきでしょうね。


 つまるところ、何事も「答えは一つではない」ということです。
いつも申し上げているように、ゴールに至る道は一つではないのです。
「踏み絵」を「滅却」し、自分を見失わないようにしましょう!