祈りを聞いてくれる神様はいるの?と思っている人へ
「苦しい。
苦しいときの神頼みだ。祈ろう。」
っていう日本人て少なくないのでなないでしょうか。
祈りって本当に聞かれるのでしょうか?
みなさんは神様にお祈りをしたら聞かれると思いますか?
「いや、そもそも神様なんていないんじゃ。」
「そんなの気休めでしょ。」
「真剣に祈っているけど、なかなか祈りが聞かれない。」
「祈りが聞かれた。」
など様々なご意見があるかと思います。
今回はそんな「祈り」について、聖書の言葉をもとに書きたいと思います。
F.B.マイヤーさんの話
私は、高原剛一郎さんというキリスト教の伝道師の方のYOUTUBE動画を見るのが好きです。
先日、高原剛一郎さんの動画を見ていると、F. B.マイヤーさんという方の話が出ていました。
マイヤーさんとは昔のイギリスの伝道師(キリスト教を伝える人)です。
マイヤーさんの話はざっくり書くとこんな感じです。
ある旅客船でマイヤーさんが3日間の特別伝道集会をひらいた。
そして、ある無神論者が冷やかしでその集会に参加してみた。
1日目の集会の後、無神論者とマイヤーさんの間にこんなやり取りがあった。
無神論者「でも私は信じない。」
マイヤーさん「でしたら祈ってみたら?」
無神論者「いるかいないか分からない神様に祈るなんて、おかしい。」
こう言われた後のマイヤーさんの言葉が秀逸です。
マイヤーさん「家族に電話する時、いるか分かっている時だけ電話しますか?いるかいないか電話してからわかるでしょ。」
少し心が揺らぐ無神論者。しかし、それでも信じない、祈らない。
次の日、無神論者は朝起きると朝食用のオレンジをポケットに2つ入れて伝道集会に向かった。
すると途中でおばあさんがデッキで寝ていた。
口を開けて両手を広げて。無防備な姿で。
面白く思った無神論者は、イタズラをひらめき、その広げられた両手にオレンジを乗せて立ちさった。
無神論者は集会に参加してもマイヤーさんの話よりオレンジがどうなったかが気になってしょうがなかった。そこで、
おばあさんの様子を見に行った。様子を見に行くと、なんとおばあさんは、
オレンジを食べていた。
ムシャムシャと幸せそうに。
無神論者は聞いた。「誰にもらった?」
お婆さん『主(神様)です。』
無神論者は思った。「これだから、クリスチャンは。このオレンジは俺があげたものなんだよ!」
するとおばあさんは続けて行った。
「実は船酔いがひどくて数日眠れていませんでした。そこで、神様に、船酔いがスッキリするためにオレンジを一つくださいと祈ってたら眠ってしまったんです。起きたら2つもオレンジが手の中にありました。」
この無神論者は3日目の公演の後に神様の存在を信じた。
祈りは聞かれるのです。
聖書にはこのような言葉があります。
悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。(詩篇 50:15)
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。(ピリピ人への手紙 4:6)
あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。(ヤコブの手紙 5:13)
わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。 (ヨハネの第一の手紙 5:14)
あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。(マルコによる福音書 11:24)
ぜひ、今このときに祈ってみましょう。
「本当に神様がいるなら、教えてください。」
とか、心の中にある苦しみを話して助けを求めるのも良いかもしれません。
そして祈り続けてほしいと思います。
みなさんが祈りの先に神様と出会いますように心から祈っています。
高原剛一郎さんの動画もぜひ御覧ください!!