息子が生まれました。
妻は「抱っこしてあげて」と言ってくれました。
ずしりと、命の重みを感じました。
6月の午後3時、晴れた日のことでした。
部屋の窓から陽が差し込み、この空間は、やさしく静かに煌めいていました。
それは、人生にはまだこんなにも感動することがあったのかと、心の揺れを感じさせられるような
光に包まれ、そして光を包み込んだ記憶です。
あの日から、私は変わりました。
育てられてきた私が、育てる私になったのです。
「息子のために、何ができるのか」
「親とは何か」
「生きるとは何か」
「人生とは何か」
そんな問いに向き合う日々が始まりました。
それは一見、誰もが当たり前のように問い、
誰もが語れる答えで溢れ、直ぐ手が届くように思えていました。
にもかかわらず、無数の答えは霧のように立ちこめ、視界はぼやけ、立ち尽くす。
手を伸ばし、足を踏み出そうとも、
気づけば自分がどこを向き、どこへ向かおうとしているのかすら分からない。
答えどころか、問いそのものがますます遠くに感じられ、辺りは暗闇に包まれはじめ、3年という月日が過ぎていました。
そしてようやく私は知るのです。
この問いに近づくには、学術的な理論が視界を開き、道を示してくれるのだと。
その道を照らしてくれる灯の一つが、エリクソンの生涯発達理論でした。私はそこで、やっと、自分なりのスタートラインに、もう一度立つことができたのです。
妻は「抱っこしてあげて」と言ってくれました。
ずしりと、命の重みを感じました。
6月の午後3時、晴れた日のことでした。
部屋の窓から陽が差し込み、この空間は、やさしく静かに煌めいていました。
それは、人生にはまだこんなにも感動することがあったのかと、心の揺れを感じさせられるような
光に包まれ、そして光を包み込んだ記憶です。
あの日から、私は変わりました。
育てられてきた私が、育てる私になったのです。
「息子のために、何ができるのか」
「親とは何か」
「生きるとは何か」
「人生とは何か」
そんな問いに向き合う日々が始まりました。
それは一見、誰もが当たり前のように問い、
誰もが語れる答えで溢れ、直ぐ手が届くように思えていました。
にもかかわらず、無数の答えは霧のように立ちこめ、視界はぼやけ、立ち尽くす。
手を伸ばし、足を踏み出そうとも、
気づけば自分がどこを向き、どこへ向かおうとしているのかすら分からない。
答えどころか、問いそのものがますます遠くに感じられ、辺りは暗闇に包まれはじめ、3年という月日が過ぎていました。
そしてようやく私は知るのです。
この問いに近づくには、学術的な理論が視界を開き、道を示してくれるのだと。
その道を照らしてくれる灯の一つが、エリクソンの生涯発達理論でした。私はそこで、やっと、自分なりのスタートラインに、もう一度立つことができたのです。