法皇様安らかに。
ローマ法王様、安らかにお眠りください。
世界中からあなたのように愛され、尊敬される人は誰としていないでしょう。
しかし、宗教に縛られない私にとって、あまり関係のないことでもあります。
それは、カトリック教徒の一部の人にとってもそのようです。
彼が残した功績は確かに偉大なものです。
でも、それが彼だから尊敬されるのか。
それとも法王だから愛されるのか。
私には少し疑問が残ります。
無条件に愛される法王なのか、、、、
後継者があの椅子に座れば、みなが愛するのか?
もし、そうならば、彼は本当に駒でしかない。
法王という名で愛されるならば、彼らは自らの定めにどう立ち向かっているんだろうか?
自分であっても、自分でない。
そのなかで、自分なりの道を作り,神の代理の働きをする。
それが、神に仕えるものの定めなんだろうか?
トピックがあまりにも大きすぎて分からない。
でも、はっきりと分かるのは、
人間誰かにすがっていなければ生きられないってこと。
すがる、、、ていう言葉はよくないかもしれない。
人間誰かに支えてもらわなければ、生きられない。
心の拠り所がなければ生きられない。
人間は、強がっていても、一人では生きられない。
だから、その時を大切にして、相手を思いやらなければ生きていけない。
自分を大切にして、家族といえる友達を大切にしよう。
失ってからでは遅いから。