イタリア料理は、フランス料理程ではないけれど、それでも勘違いされていると思う。
何か特別お上品で、調理も手が込んでいるとでも思われているかのようだ。
最近の「お上品ぶった」レストランがそうしてしまったのではなかろうか。
お皿がやたら大きくて、見栄えがあたかもお上品であるかの様にして、中身がほとんどない。
実質がない。
ハッキリ言って、糞くらえである。
何を気取っているのだ、イタリア料理を馬鹿にするな、とでも言いたくなる。
昔のイタリア料理は実質本位で、気取ったところは全くなかった。
一方、手が込んでいるという点では、家庭料理こそそうではなかろうか。
かなりの作業を要することが多い。
パスタを、粉と卵から練りこむ。
スープストックをきちんと二種類の肉を使って取る。
しかし、イタリア人も、普段から毎日そんなことばかりをしている訳ではなかろう。
Francesca SassuによるPixabayからの画像
今のイタリアでは、奥様かお母さんが専業主婦でもしていない限り、あまり見られない光景になってしまったのではなかろうか。
本当のイタリア料理のおいしさが生まれる手間は、省かれているのが普通だろう。
そんな中、昔ながらの伝統的な料理の一部、サラダは変わっていない。
変わりようがないだろう。
元々、単純極まりない一皿だ。
普通、レストランでもミックスサラダとグリーンサラダをよく見かける。
それぞれ、インサラータ・ミスタとインサラータ・ヴェルデと言う。
何のことはない。
インサラータ・ミスタは、レタスの様な青菜にニンジンやトマト等を和えただけ。
インサラータ・ヴェルデは、青菜だけだ。
インサラータ・ヴェルデの場合、余程気の利いたレストランでも、サラダ菜に青菜をもう一種類か二種類混ぜ合わせる程度だ。
イタリアは青菜の種類が多いので、確かにそれだけで色々な味が楽しめるだろう。
ルーコラと言われる雑草に近い細かい葉っぱは、フランス語ではロケットだ。
チコリの仲間であるエンダイブなども、その代表的なものだろう。
ラディッキオという赤い菜っ葉のチコリで色どれば、美しい一皿になる。
いずれにしても、菜っ葉を適当に混ぜ合わせただけなのだ。
これらはいずれも独特の香りや味があり、その「苦み」さえ様々でおいしいという特徴がある。
Hans BraxmeierによるPixabayからの画像
更に、ドレッシングも単純極まりない。
塩コショウをして、ワインビネガーとオリーブ油をかけるだけ。
ところがどっこい、筆者は、これ以上おいしいドレッシングを知らない。