キティちゃんの目覚まし時計が、ついに壊れてしまった。
神戸市の北区に鈴蘭台という所があって、そこのとある雑貨屋さんで買った目覚ましだ。
20年以上昔の話である。
ということは、この目覚ましは、20年以上もの間、日夜動き続けてきた。
ほとんど毎日使ってきた。落としたことも何回かある。
読者の方々は、ここで、なぜお前さんみたいなオッサンがキティちゃんなんだと思われるだろう。
それには理由がある。
そのころ、日本とヨーロッパの間を頻繁に往復していてて、子供達にはいつもお土産を買って帰ったものだ。
ヨーロッパ在住だったので、日本からのお土産だ。
旅する父親の楽しみの一つだった。
この目覚まし時計を息子に買ったかどうかは忘れたが、3人の娘たちと母親とに買って、自分もおそろいで使いたかったのだ。
娘たちと同じものを共有して使うということが、これまた父親の秘かな楽しみだったのだ。
この時息子には、多分別の何かを買って帰ったと思う。
娘たちはまだ小さかったので、割とすぐ壊してしまったのではないだろうか。
彼女たちに渡したキティちゃんの行方がどうなったかは知らない。
母親は、長い間使っていた。
「よくもつねぇ」(長い間壊れないという意味)と言っていたのを覚えている。
その母親の元にも見かけなくなってからも、自分のキティちゃんだけは、まだまだ何年も何年も壊れなかった。
その最後のキティちゃんが壊れて、何か心にポッカリ穴が開いたような気持ちになってしまった。
そして、この歌が頭に浮かんできた。
大きな古時計
学校の音楽の授業でも歌っていたと思う。
改めて聴いてみると、ひどい内容だ。
自分はこんな関連付けはしない。
確かに、一つの長い時代が終わった様に感じているのかも知れない。
娘たちとの交流も、彼女たちの小さいころとは全然違う。
新しい目覚まし時計を直ちに買った。
今回は一個だけだ。
普通のどうってことのない目覚まし時計だ。
そんな中、子供たちとは、もっともっといい関係を築いていきたい、と常々思っている。