チョークポイントとは、難所とか隘路といった意味。そこを押して締めあげれば相手の息の根を止めてしまう気道のような箇所のことだ。
アテネが滅んだのは、その繁栄を支えた海上貿易交通の要所であったボスポラス海峡をスパルタに押さえられたからだ。東ローマ帝国が滅んだのもやはりボスポラス海峡だ。トルコ帝国は、穀倉地帯であるウクライナやシルクロードから運ばれる食糧や物資の通過に課金・課税することで繁栄するが、ヨーロッパ諸国がここを迂回する海路の開発を促す結果となり衰退する。
こうした地理的地勢の弱点をめぐる攻防の歴史は長いが、現代では、それが貿易金融を舞台とする経済戦争へと戦場を変えた。武力行使に換わるものは「経済制裁」だ。金融システムや、原油・天然ガスなどのエネルギー資源への依存、半導体、レアアースなどの供給など、相手の経済的な弱点を締め上げる。
冷戦構造の終焉とともに世界経済のグローバリゼーションにより圧倒的な威力を持つようになった経済制裁。米国がこうした国際経済秩序のなかで絶対的な力を得たのは基軸通貨としての自国通貨ドルの支配力。国際取引の大半がドルで決済され、世界中の銀行は米国の銀行とネットワークをつなぎ、ドルで取引する。
大きな成果をあげたのはイランの核開発。
制裁によって原油輸出の道を塞がれ、イラン通貨であるリアルの価値は半減した。根を上げたイランは核合意に応ずることになる。オバマ政権は経済制裁こそがその決定的要因だったと喧伝する。
ロシアのクリミア併合では、ロシアの大銀行やエネルギー企業を米国の資本市場から締め出した。資本市場制裁は、ロシアの原油輸出を止めずに融資の借り換えや技術開発資金を締め上げた。原油市場を混乱させずに東部ウクライナの紛争拡大を防げミンスク合意に持ち込めたのは、ヨーロッパ諸国にとっては都合がよかった。
中国のIT先端産業を弱体化させるために、G5通信ネットワークで先行するファーウェイを攻撃し、欧州各国の設備導入を妨げた。最終的にファーウェイは事業拡大を断念せざるを得なかった。
本書は、こうした経済制裁を練り上げるテクノクラートの知謀の限りと、彼らの議会、欧州各国との政治外交の息詰まるような駆け引きを詳述する。あの時には表面からし見えなかった国際政治経済の裏舞台がようやく迫真に迫ってくる。いまも続くウクライナ戦争の真相を垣間見る思いがするだけでも、本書を読む価値がある。
経済制裁は、抗生物質のようなものだという。
使い方を誤れば、効果がないだけでなく逆効果にもなる。次第に相手は対策を講じて、耐性を持つようにもなり同じ手は二度、三度と使えない。相手が巨大になれば効果を弱まるだけではなく、世界経済はずたずたになって自分自身も耐えられないほどの打撃を被るから慎重にもならざるを得ない。
そのことを端的に示すことになったのは、プーチンのキーウ侵攻を止められなかったことだ。石油の上限価格制度という制裁は効果がなかった。インドや中国は安値のロシア原油を潤沢に手に入れ、ロシアも空前の増収で潤った。
すぐに戦争を終えられると豪語した第2次トランプ政権は、古典的な高関税政策を乱発し、ヨーロッパなどの同盟国との関係を決定的に損ない、米国そのものへの信用を失った。BRICSへの加盟国は増え、一帯一路も多くの参加国を得る。ヨーロッパ各国でさえ、米国のライバルであったはずの中国へ再び擦り寄ることになっていく。経済制裁には西側同盟国の結束と協力が欠かせないはずなのにだ。
各国が、それぞれに自国の経済安全保障の確保に一斉に動き出したなかで、いったい日本はどれだけのことが出来ているのだろうか。
本書には、解説として鈴木一人東大教授の一文が寄せられている。
そこで強調されるのは、「1945年コンセンサス」の終焉ということ。そのコンセンサスとは、国連を中心とした一定のルールが定められ、そのルールの下で国家が共存し、戦争を違法化する合意のこと。日本は、そのコンセンサスの下に平和憲法を受け入れ、自由貿易の利益を享受して再建と繁栄を築いてきた。しかし、今やその足元が崩れてしまった。
コンセンサスの中心にいたはずの米国の大統領が、「国際法は必要ない」と言い放つ時代なのだ。
「戦略的自立性を高めることで自らを守り、戦略的不可欠性を高めてチョークポイントを握ることは、これからの経済戦争の時代を生き抜くうえで極めて重要なポイントだ」と鈴木教授の解説は締めくくる。
チョークポイント
アメリカが仕掛ける世界経済戦争の内幕
エドワード・フィッシュマン (著)
日経BP
2025年9月22日 第1版第1刷発行
CHOKEPOINTS
American Power in the Age of Economic Warfare
Edward Fishman
Published by Portfolio

