このところ、あたたかく穏やかな良いお天気が続いております。
桜前線は順調に東北へと北上していっているようで、14日には秋田で満開に、青森でも開花したとのこと。
私が先週行ってきた会津若松も本当は1週間遅かったらもっと良かったのかも…なんて思ったけど。
こればかりは仕方ない~こちらのスケジュールもあるので。
この辺りはソメイヨシノは先週末辺りがピークで大部分は葉桜になってしまいましたが、花びらがひらひらと風に舞い散っていく光景を見られるのも今だけ。これがまたなかなか風流です。
そして、代わりに八重桜がとても美しい時期になりました。
八重桜は花びらが幾重にも重なり、重厚感があって華やか。
いろいろ種類があるとは思いますが、この八重桜は色も鮮やかで遠くから見てもとてもゴージャスでした。
日差しがとても温かくてというか、暑い!
周りで遊んでいる子供たちはどう見ても夏って感じでした。
藤も咲き始めていたのですが、これはまだまだこれからです。
まだひょろひょろ・・・
藤も大好きなので、一番いい時期に見に行けるといいなあと思っているのですが、なかなかタイミングが合わないです。
お天気が良かったら、ゴールデンウィークには昭和記念公園にでも行ってこようかな。
今朝は産経新聞が届きませんでした
休刊日だから仕方ないとはわかっているのですが、毎朝、一番に新聞を取りに行き、真っ先に話の肖像画を読むのが4月以降の日課となっていたので、なんとなく調子が出ない。
こんなに新聞が届かない朝が寂しいなんて
でもありがたいことに、ネットで今までの記事も読むことができる上に、インタビュー動画もこれまでに2本アップしてくれています。この動画がまたすごく面白くて、何度も見てしまう。
インタビューされる方も感じがいいし、とにかくトシちゃんの話が面白い。
担当された記者さんのショート動画があったので、貼っておきます。
記者さんも仰ってますが、トシちゃんはとても頭の回転が早いと思う。
地頭がいいのでしょう。
話の組み立て方とかもすごく上手いし、動画見ていると分かるけど、とても惹きこまれる。
とにかく話が面白くて分かりやすくて、まじめで誠実であることが自然と伝わってきますよね。
ちゃんと見抜いてくれている記者さん、さすがでございます。
私のブログでは確か12回までの感想しか書いてなかったと思うので、週末の2回分について今日は書いておきます。
最近は、自分のためだけに自己満足でこのブログを書いているので、別に公開しなくてもいいんじゃないかと思っているくらいです。
それでも下書きばかり溜まって仕方ないので、一応アップはしておきます。
あまり読む価値のない文章ですが、お暇な方だけどうぞ。
前回はトシちゃんが哀愁でいとでデビューを果たし、それが忽ち大ヒットになったというところまで。
この辺りは特に読んでいて勝手にテンションが上がってきます。
リアルタイムで見聞きし、体感してきたことなので。
ある日突然、学校の休み時間の話題が「たのきん」という感じに一気になったんですよ。
トシちゃんかマッチのファン以外は変わり者みたいに言われていた(笑)そんな時期がありました。
トシちゃんがデビューし、あの旋風が吹きあれている真っただ中のお話で、あ~そうそう、そうだったよなあなんて自分の記憶と重ね合わせながら読み進められる・・・同じ時間を過ごしてきたものの喜びを味わえるのがとても嬉しいです。
聖子ちゃんとのツーショット ファンが嫉妬 カミソリ事件「ワチャワチャしてました」 話の肖像画 歌手・田原俊彦<13> - 産経ニュース (sankei.com)
何の保証もなく甲府から飛び出していったトシちゃんが、大スター(しかも異次元の大スター)となり、甲府へ「凱旋」した時は、ご家族は嬉しかったでしょうねえ。
あの時代はアイドル雑誌に家族が載っていた時代で、今ではいろいろ考えられないくらいいろんな意味で緩やかな時代でした。
もう地元は大騒ぎだったのではないでしょうか。
帰り際のママの涙・・・なんかホロっとしてしまいます。
そして、シングル第2弾、ハッとしてGOOD!の発売ですね!
何といっても私が初めて自分のお小遣いで買ったレコードがこの曲です。だからものすごく思い入れがあります。
(哀愁でいとが発売された時はトシちゃんを認識してなかったので買ってなかったのです)
この頃は私、まだ小学生でしたので、聖子ちゃんに対してトシちゃんを取らないで~!みたいな嫉妬は皆無でした
それより、まるで少女漫画の世界から飛び出してきたトシちゃんと聖子ちゃんのカップルがとっても眩しくて美しくて、大好きでした。
二人並んでいる姿が、身長差とか含めて絵的に文句なく完璧だったから。
CMでの共演だけではなくレッツゴーヤングでも二人はペアになることが圧倒的に多かったし、あんなに似合うんだから噂にもなるでしょう。
ライバルとしてしのぎを削って年末の賞レースは二人の対決が話題になり、紅白も共に初出場で、この二人でトップバッターを務めました。
1980年という新時代の幕開けの年にこの二人が揃ったことは、運命の導きだったとしか思えない。
そこからアイドル全盛期というものがSTARTしていくわけですが、このお二人がその魁的な存在であり、この時代の象徴として存在していたことも凄いと思うし、この時代を実際に味わえた私はとてもラッキーだったと思います。
もちろん、それぞれ単独でもすごかったんだけど、この組み合わせというものがより一層、アイドル全盛期の流れを加速させ、充実させた感があったんじゃないでしょうか。
とにかく商業的にこの二人の組み合わせというのは、最強だったのは間違いありません。
でも新聞のラテ欄でも名前が並ぶとクレームの嵐…という今から思うと嘘みたいなエピソードを残すほどの伝説の二人。
その二人が、それぞれ、多くの悲しみや苦しみ、バッシングの嵐を乗り越えて45年経った今もそれぞれステージに立ち続けているというのは、何とも嬉しく、やはり一つの時代を創った存在というもは特別なのだと思わずにはいられません。
トリオではなく、ソロで!というトシちゃんの訴え。
この願いをジャニーさんが聞いてくれたことには本当に感謝しています。
トリオで扱われるのなんて本人もそうだったと思うけど、とにかく私が嫌だった(笑)
トシちゃんだけでいいのに、雑誌のページが3人のインタビューとかになっていて、結果としてどうしてもトシちゃんが3分の1になるじゃないですか。それがもうすっごく嫌でした。
いや、他のお二人のことは嫌いとかではなく・・・とにかく関心がないのです。
だから、本当にソロでデビューしてくれて良かった。
そして今もソロでステージに立っていてくれることが本当にありがたいです。
トシちゃんは孤高の気高いエンターテイナーでいて欲しい。
トシちゃん100%のステージ、本当に素晴らしいの一言ですから。
話題性のために集客のために・・・とか、誰かと一緒にとか・・・そういうの、やらないでくれるところがさすが田原俊彦と思ってます。まあ、必要ないですからね。
この考え方、在り方が私の求めるもの、そのものです。
とにかく100/100がいいんです。私は。
分割されるのも嫌。名前が真っ先にないのも嫌(笑)
この回の下に動画②が添付されています。
前回、動画が公開された時に①となっていたので、今後も動画でインタビューを見せていただけるのかなと期待しておりましたが、早々に、②を見せてくださいました。
こちらはまだ世に出る前のトシちゃんの学生時代の武勇伝(?)で、かなりぶっ飛んでます。
本当に面白くて、周りも笑いの渦に包まれています(笑)
トシちゃんの周りはこんな感じで、笑い声が絶えない感じなんだろうなあ。いい雰囲気でインタビューが行われていると感じられます。
この後の動画の公開も、ものすごく楽しみです。
「恐竜の卵」を「御影石」に…父の墓前で恩返し 自動車教習所は前代未聞の「個人授業」 話の肖像画 歌手・田原俊彦<14> - 産経ニュース (sankei.com)
この時期のトシちゃんのスケジュールは異常だったと思います。
よく倒れずに、あの凄まじいスケジュールをこなしていましたよね。
しかもトシちゃん、あの中でダンスやドラマのセリフを覚えたり、運動会のために走り込みしていたりしたというのだから、本当に驚き。
どこに行っても大騒ぎになっただろうし、自分がなりたくてなったアイドルだけど、逃げ出したくなったりしなかったのだろうか?
そして知っていた話ではありますが、お父様のお墓を建てた話は感動です。
本当に立派。尊敬しかありません。
以前、甲府に行った際に、お墓参りに行かせていただいたことがあるのですが、それはそれは立派な御影石のお墓でした。
昭和56年と墓石に刻まれた日付を見て、本当にトシちゃんはデビューして稼げるようになって真っ先にこのお墓を建てたんだなあと思いました。
こういうところですよ。
人として、長男として、やるべきことをしっかりやる。順番間違えちゃいけない・・・当時、まだ20歳ですよ。トシちゃん。
表に見せているものの裏側に秘めた本質というものを見極める力がある人は意外と少ないものです。
トシちゃんのことをいまだに誤解してる人もいると思うのですが、そういう人にはぜひ、こういう話を読んで欲しいものです。
しかしながら、あれだけの仕事をこなしながら教習所にも通っていたのか!
頭が下がります。
お父様にお墓を建て、確か後にお母様にも家を建てて…
本当にカッコイイですよね~!トシちゃん。
この頃のトシちゃんを、私は実在の人物ではないくらいに思っておりました。
完全にテレビの中の人だったし、実物も見たことないので限りなく二次元に近い感じの存在でした。
でも実際はトシちゃんは生身の人間。
夜中まで仕事をこなし、疲れ切っていたでしょうし、嫌な思いもしたこともあったと思いますが、私が思い出すあの頃のトシちゃんはいつも完璧なアイドルとして笑顔を絶やさず元気いっぱいで歌って踊っていました。疲れなんて感じさせないくらい。
でも今、昔の動画を見ると、声がカサカサに枯れていたりする。
今じゃ考えられない労働環境です。
その中で、アイドル田原俊彦として人々から求められるものに必死に応えていたのでしょう。
それはもしかしたら実像の田原俊彦とは異なる部分もあったかもしれないし、本人が望まないものだったりしたかもしれないけど。
以前、ある番組でのトシちゃんの言葉がとても印象的でした。
自分が求められている役割は「陽」だったと。
それを見事に演じていたトシちゃんはまさにプロフェッショナルアイドルであったと私は思います。