桜はかなり散ってしまいましたが、まだまだ綺麗に咲いてます。

でも来週くらいまでかなあ。

 

チューリップも今が一番きれいな時ですが、来週になるとかなり花が開いてしまうかもしれませんね。

 

 

 
 

 
 

 

 

 

この間4月になったと思ったら、もう半ばです。

桜が終わったころにハナミズキが咲き、薔薇が咲き始め・・・と季節はどんどん進んでいってしまいます。

今朝、歩いていたら薔薇の蕾が膨らみ始めていました。今月末には少しずつ咲き始めるかな。

 

 

 

この頃は花の写真ばかり。似たような写真ばかりですみません(笑)

 

 

写真と言えば、そろそろトシちゃんの新曲のジャケット写真が出来上がってくる頃なのでしょうか。

カッコいいやつ、お願いいたします!

何しろ今年は45周年なのですから。

10年前の35周年、LOVE&DREAMと、BONITA 両A面での発売でしたが、ジャケ写がまさかのイラストで・・・

ステキなお写真がいくらでもあるのに、なぜ????とがっくりしてしまった記憶があるので、今年はそんなことはないと思いつつ、実物見るまでは安心できません。

写真であったとしても写真を選ぶセンスが私とズレまくっていることが多々ありまして・・・

なぜ、これ?とか、え・・?もっとカッコいいやつあるだろ!っていうことが、とても多いような気がする。

まあ、センスばかりは仕方ないのですが、何百枚と写真撮るだろっていう中から選ぶのが、「これ?」と感じさせるものになってしまうのはなぜなのかと正直疑問に思ったことがあります。


 

 

さて、連載が続いております。産経新聞、話の肖像画です。

 

いよいよ田原俊彦の時代が始まります!

新たな時代の幕開けです。

 

 

この回の写真も可愛すぎて悶絶笑これは世間が放っておかないわ・・・

産経新聞さんが掲載してくれるお写真は、なかなか良いですね~。

 

「金八先生」に出演、人気がドーンと 年齢「嘘をつきました。バレるんですが(笑)」 話の肖像画 歌手・田原俊彦<11> - 産経ニュース (sankei.com)


以前にもブログで書いていると思うのですが、この金八先生の放送開始時は私、小学4年生でした。

我が家ではなぜか知らないけど、初回の放送からこの金八先生を見ていたと思います。

そして、ある日、気づくのです。

あのいつも後ろばっかり向いて全然授業聞いてない人(笑)なんてカッコいいんだろうって。

そう。それがトシちゃん演じる沢村正治君でした。

教室のシーンでは、いつも沢村君ばっかり見ていた気がする。

この頃トシちゃんは高校卒業していたから、リアル中3がほとんどという生徒の中ではやっぱり大人っぽくて目立っていたのかも。

でも、あんなにアウトローを気取ってるけど、本当は繊細で寂しいんだなあ・・・って思わせるどこか陰のある演技がものすごく良かった。

 

オフコースのさよならを聴くと、いまだに条件反射的にピンクのマフラーを巻いてソファーに寝っ転がってる沢村君を思いします。

考えてみればセリフなし、表情で悦子先生への切ない恋を表現してるんだから、凄いなあと思う。

あのシーンはもちろん凄く印象に残っていますが、私自身がトシちゃんによりキュンときたのは、金八先生とシチューを作ると台所に立っているシーンだったりします。でも、その話を書いている長くなるので割愛ニコニコ

 

私と同じようにこのドラマを見て、田原俊彦という存在に気づき、恋をした女性は日本中にいっぱいいたでしょうね。

こういうこと(生徒の中から人気者が出てきてくるということ)はプロデューサーも想定していなかったことなのかもしれないけど、結果として金八先生があれだけの大ヒットドラマとなり、その後いくつものシリーズができた一因にはこの中から次のスターが出るという構図ができていったこともあるのではないだろうか?

でも当時小学生だった私は、その役名しか知らず、田原俊彦という名前も知らずにこのドラマを見ていたのです。

そしてドラマが最終回を迎え、見なくなってしまうと子供だからまた忘れちゃうんです。

 

なお、トシちゃんも触れている年齢のこと。

その後、ベストテンでそのことを認めて謝ってましたね。

謝る必要なんてないと思ったけど、トシちゃんもその方が生年月日偽ったりする必要ないから、楽になったかもしれないです。

今とは時代が異なり、この時代って20代で高校生演じたりしている人もいたと思います。(ただいま放課後で高校生の同級生として共演していた小林まさひろさんも当時20代半ばだったと思う)。

年齢偽ってオーディションを受けるとかそんな話も、いくらでもあったと思いますし、事務所からオーディションを受けに行きなさいと言われればそうするしかなかったんじゃないかなと思います。

計算違いはトシちゃんがあのドラマでドーンっと大人気になってしまったということかもしれません。

本人が公に謝罪したことを半世紀近く経っても鬼の首を取ったように年齢ごまかしてたとかいう人がたまにいますが、そういうの目にするたびに「このことが、あなたに何かご迷惑おかけしました?」って言いたくなります(笑)

結果として、あのドラマに田原俊彦が出演したということは大成功だったと思うし、視聴率にも貢献したのは間違いない。

このドラマによって人気に火が付いたことを思うと、このことは、その後の芸能界の流れを変えたといっても過言ではないと思います。

 

次回、いよいよトシちゃんデビューです!

 

この回の記事の下方にスクロールすると、ここまでのインタビューを動画で見ることができます。

読むには会員登録(無料)が必要のようです。

 

こうやって真面目にインタビュー答えているトシちゃんは、大人の男性の落ち着きがあって、それでいて話が面白いし、声がいいし、とにかくステキですねラブ

テレビ出演の際などは「田原俊彦」という鎧を纏い、過度なサービス精神も発揮しないといけないという思いから、テンションが高めに見えたり、軽い感じに見えたりするのかもしれませんが、実際、こうしてお話している時のトシちゃんのイケオジぶり半端ない照れ

そのギャップがまた私には良かったりするのです。

普通にしているんだけど、カッコいい(笑)

 

 

 

 

「哀愁でいと」大ヒット、怒濤の80年代へ オリコン上位で事務所沸く「よし、来たぞ」  話の肖像画 歌手・田原俊彦<12> - 産経ニュース (sankei.com)

 

いよいよ、歌手田原俊彦が誕生!

新しい時代の幕明けです。

 

 

金八先生の放送が終わり、小5になった夏のこと。

お風呂上りにたまたまリビングでついていたテレビで哀愁でいとという曲を歌う人を見た時、ビビビって来たんです。

私の中で、田原俊彦という名前を認識したのはこの時以降だったと思います。それがあの沢村正治君だったことも知らず。

どんだけ私の好みって一貫してるんだってことなのですが(笑)

 

この時好きになったトシちゃんが、45年後もステージで歌って踊っていて、そのトシちゃんをすっかりいい歳になった私が今も大好きでいる・・・こんな未来があるなんて、この時の私は思いもよらなかった。

 

それはさておき、トシちゃんのデビュー曲というのは、ひとつの伝説を作っています。

初登場でいきなりベストテン入りしてしまうのです。

今はデビューシングル、初登場オリコン1位なんて聞いてもよくある話…で終わりでしょうけど、あの時代は曲は徐々に徐々に売れてランキングが上がっていくというのが普通で、いきなりベストテン入りというのは初めてのことだったそうです。

旧ジャニーズの子たちがデビュー曲が一位になるのがほぼ当たり前という時代になって、こんな話を聞いてもどこが凄いの?って感じなのかもしれませんが、それが当たり前になるようになったのもトシちゃんのような先陣の方々が築き上げた記録があったからこそだということは申し上げておきたい。

それまで起きていなかった物事を初めて成し遂げるということは、ものすごく大きなことなのです。

 

否定したがる人は成功は全て「事務所の力」とか言いたがりますが、この時のジャニーズの経営は傾きかけていたので、思い通りにする力なんてなかった。

間違いなく、たのきんの先陣を切ってデビューしたトシちゃんの成功で一気に流れが変わったのだと思います。

その勢いはあの時代を実際に生きて経験した私達は肌で感じていました。

 

半年後のたのきん2番手のマッチのデビュー曲は、たのきん映画の主題歌だったことと、トシちゃんという不動のアイドルの出現後で「成功が約束された」ものだったと思うけど、トシちゃんのデビュー曲はある意味、売れる保証のない賭けだったとも言えるのでは。

新たな時代が始まる時には、こういう役割を担う人が出現する。

その担い手としてジャニーさんが選んだのはトシちゃんだったのですね。

 

事務所はこれで気合が入ったと思いますね。「よし、来たぞ」と。これで一気にいきました。あそこからスタートし、今へと続きます。あれがなければ、その後のジャニーズ事務所はなかったかもしれないですね。

 

その通りだと思います。

この後から始まるんです。快進撃が。

私たちは知ってます。この歴史。実際に見て、体感してきたから。

だから、正しく歴史が伝えられることをずっと願っていました。

 

トシちゃんの功績どころか、名前まで消され、存在すらなかったことにされていた長い期間がありました。

でも、どんな手を使ってもこの事実を消し去ることはできないし、捻じ曲げることはできないのです。

実際、できなかったでしょ?

現在、長年にわたる理不尽にもくだらない忖度にも負けず、己を貫いてステージに立ち続けているのはトシちゃんの方。

そして最終的に名前が消えたのは事務所の方だった・・・というのだから、世の中何が起こるか分からない。

 

このタイミングが1980年という区切りの年だったというのも凄い。

 

いよいよ怒涛の1980年代へ。

田原俊彦の時代が始まりました!