ある時、世尊はサーヴァッティーのジェータの林の中にあるアナータピンディカの園に滞在していた。
その時遍歴行者のチャンナは尊者アーナンダの元へ行った。行って、尊者アーナンダと挨拶を交わし、親愛と敬意に満ちた言葉を述べてから、傍らに座った。
チャンナは尊者アーナンダに言った。
「友アーナンダよ、あなたは貪りの捨断を説きますか。怒りの捨断を説きますか。愚かさの捨断を説きますか。」
『友よ、わたしたちは貪りの捨断を説きます。怒りの捨断を説きます。愚かさの捨断を説きます。』
注:捨断とは根絶と言う程の意味です。
チャンナは更にアーナンダ尊者にお聴きします。
「ではあなたたちは貪りの過患を見て、貪りの捨断を説きますか。怒りの過患を見て、怒りの捨断を説きますか。愚かさの過患を見て、愚かさの捨断を説きますか。」
注: 過患 ādinava とは,煩悩 業の始動することである。
アーナンダ尊者は仰います。
『友よ、貪った人は貪りに征服され、心が占拠され、自らを損なうことを志向し、他者を損なうことを志向し、〔自他の〕両者を損なうことを志向し、心の苦しみと憂いとを感受します。
貪りが捨断された時、自らを損なうことを志向せず、他を損なうことを志向せず、〔自他の〕両者を損なうことを志向せず、心の苦しみと憂いとを感受しません。
友よ、貪った人は貪りに征服され、心が占拠され、自らを損なうことを志向し、〔自他の〕両者を損なうことを志向し、心の苦しみと憂いとを感受します。
友よ、貪った人は貪りに征服され、心が占拠され、身体によって悪行を行い、言葉によって悪行を行い、心によって悪行を行います。
貪りが捨断された時、身体によって悪行を行わず、言葉によって悪行を行わず、心によって悪行を行いません。
友よ、貪った人は貪りに征服され、心が占拠され、自らの利益を如実に知らず、他者の利益を如実に知らず、〔自他の〕両者の利益を如実に知りません。
貪りが捨断された時、自らの利益を如実に知り、他者の利益を如実に知り、〔自他の〕両者の利益を如実に知ります。
友よ、貪りは闇を作り出し、盲目を作り出し、無知を作り出し、智慧を消滅させ、苦難を伴い、涅槃の障害となります。
友よ、怒った人は怒りに征服され、心が占拠され、自らを損なうことを志向し、他者を損なうことを志向し、〔自他の〕両者を損なうことを志向し、心の苦しみと憂いとを感受します。
怒りが捨断された時、自らを損なうことを志向せず、他を損なう事を志向せず、〔自他の〕両方を損なうことを志向せず、心の苦しみと憂いを感受しません。
友よ、怒った人は怒りに征服され、心が占拠され、身体によって悪行を行い、言葉によって悪行を行い、心によって悪行を行います。
怒りが捨断された時、身体によって悪行を行わず、言葉によって悪行を行わず、心によって悪行を行いません。
友よ、怒った人は怒りに征服され、心が占拠され、自らの利益を如実に知らず、他者の利益を如実に知らず、〔自他の〕両者の利益を如実に知りません。
怒りが捨断された時、自らの利益を如実に知り、他者の利益を如実に知り、〔自他の〕両者の利益を如実に知ります。
友よ、怒りは闇を作り出し、盲目を作り出し、無知を作り出し、智慧を消滅させ、苦難を伴い、涅槃の障害となります。
友よ、愚昧な人は愚かさに征服され、心が占拠され、自らを損なうことを志向し、他者を損なうことを志向し、〔自他の〕両者を損なうことを志向し、心の苦しみと憂いとを感受します。
愚かさが捨断された時、自らを損なうことを志向せず、他を損なう事を志向せず、〔自他の〕両方を損なうことを志向せず、心の苦しみと憂いを感受しません。
友よ、愚昧な人は愚かさに征服され、心が占拠され、身体によって悪行を行い、言葉によって悪行を行い、心によって悪行を行います。
愚かさが捨断された時、身体によって悪行を行わず、言葉によって悪行を行わず、心によって悪行を行いません。
友よ、愚昧な人は愚かさに征服され、心が占拠され、自らの利益を如実に知らず、他者の利益を如実に知らず、〔自他の〕両者の利益を如実に知りません。
愚かさが捨断された時、自らの利益を如実に知り、他者の利益を如実に知り、〔自他の〕両者の利益を如実に知ります。
友よ、愚かさは闇を作り出し、盲目を作り出し、無知を作り出し、智慧を消滅させ、苦難を伴い、涅槃の障害となります。
友よ、私たちは貪りの中にこの過患を見て、貪りの捨断を説きます。怒りの中にこの過患を見て、怒りの捨断を説きます。愚かさの中にこの過患を見て、愚かさの捨断を説きます』。
チャンナは言います。
「では友よ、この貪りと怒りと愚かさを捨断するための道はありますか。実践はありますか」。
アーナンダ尊者は仰います。
『友よ、この貪りと怒りと愚かさを捨断するための道はあります。実践はあります』。
チャンナは言います。
「では友よ、道とはどれらですか。実践とはどれらですか。」
アーナンダ尊者は仰います。
『友よ、聖なる八支道です。すなわち正しい見解(正見)、正しい考え(正思惟)、正しい言葉(正語)、正しい行為(正業)、正しい生活(正命)、正しい精進(正精進)、正しい注意力(正念)、正しい心(正定)です』。
ここで釈尊は仰います。
【友よ、貪りと怒りと愚かさの捨断のために、この道はよい。この実践はよい。それゆえアーナンダよ、不放逸であれ】。
注:不放逸とは なげやりの心でなく専心に善を行うこと。 なまけないこと。
この章終わり。次章に続きます。更新は後日です。誤字間違いがあったら指摘して下さい。
この文章を起こすのに数時間かかってます(苦笑)。間違えてても大目に見て下されば幸いです。
この章の肝はアーナンダ尊者は応用問題に見事に答えられています。一般の問答は釈尊のお言葉に対する単純な可否でありますがアーナンダ尊者は自分のお言葉で釈尊の教えを見事に表現されたのです。さすがは多聞第一のお弟子さんだと言えます。
アーナンダ2にいいね!下さった那雲さん、ありがとうございます!