誰かのために生きるのをやめたら
誰かを幸せにすることをやめたら
ようやく自分を幸せにできる。

 

 

 

 

そんなの自己中心的で冷たいと思うなら
きっとあなたも自分の幸せの責任を
他人に押し付けて来たのだろう。

 

 

 

 

そして他人の幸せの責任を
あなたもまた背負って来たのだろう。

 

 

 

 

誰かの救い手になるとは心地がいいもので
人間が持っている無価値観を埋めてくれる。

 

 

 

 

誰かを幸せにすることで
自分に価値を感じられるから。

 

 

 

 

誰の役にも立っていない自分
誰からも必要とされない自分
誰も幸せにできない自分には
価値を感じることができない。

 

 

 

 

だから私たちは誰かを幸せにすることで
無価値感から抜け出そうとする。

 

 

 

 

社会に属している限り
誰かから必要とされている限り
私には価値があると思えるから。

 

 

 

 

私には価値があると思いたいから
必死で自分を必要としてくれる人を探す。

 

 

 

 

お金もなくて、仕事もなくて
友人もいなくて、引きこもっていて
そんな自分になるのだけは嫌だと思う。

 

 

 

 

何か価値あることをしなければ!

 

 

 

 

そう、価値のない(と思われる)
ことをしたら価値のない人間になるから。

 

 

 

 

助けたい、役に立ちたい、幸せにしたい。

 

 

 

 

救い手という役割は時に心地よく
誰かの役に立ち続けてる限りは
自分を好きでいられる。

 

 

 

 

人間の持つ無価値感から開放されるから。

 

 

 

 

そして誰の役にも立っていない
という状況はその人を恐怖の底に落とす。

 

 

 

 

存在している意味を見出せないから。

 

 

 

 

そうして役に立たない自分をジャッジし
否定し続けているから心が苦しくなる。

 

 

 

 

自分を受け入れるということは
その役に立たない自分をも許すということ。

 

 

 

 

私たちは誰かを救っている場合ではなく
自分を救わないと幸せにはなれない。

 

 

 

 

私はいいからあなたに幸せになってほしい
なんて自己犠牲は誰のためにもならない。

 

 

 

 

無価値感のエネルギーは強力に感じられ
とても抜け出せないと思うことがある。

 

 

 

 

だからこそ価値ある自分でい続けるために
必死で動き回っていたい気持ちも分かる。

 

 

 

 

だけど無価値感から目を逸らしても
無価値感から解放されることはない。

 

 

 

 

誰の役に立たなくても
誰も幸せにできなくても
誰からも必要とされなくても
私は私を許せるだろうか?

 

 

 

 

そんなあなたは生きてる意味がない!
と自分自身に言い続けるのだろうか。

 

 

 

 

本当は誰もあなたを責めてない。

 

 

 

 

あなたがあなたを責めてるだけ。

 

 

 

 

必要とされることに心地良さを感じ
自分の無価値感から目を逸らす。

 

 

 

 

救うべき人は役立たずと責められてる
あなたの心の中にいるもう一人のあなた。

 

 

 

 

その人を受け入れた時に統合が起こる。

 

 

 

 

もう誰も幸せにしなくていい。

 

 

 

 

あなたの唯一の責任は
あなたを幸せにしてあげることだから。

 

 



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