■FC岐阜恩田社長 | 色とカタチのカラー診断=自分スタイルは強く優しく無敵です=

色とカタチのカラー診断=自分スタイルは強く優しく無敵です=

作りこまなくていい。そのままでいい。
本当の自分らしい見た目は、印象が良い。
心を強く優しくし、人間関係も改善し、人生は豊かに健康になる。
自分の魅力を外見から伝えましょう♪

先週土曜日、東京へ発つ前にその日の朝刊を見て、
驚いた。

FC岐阜恩田社長の難病ALSの告白記者会見の記事。

私もALSで家族を失ったことのある遺族の一人。
いったいこの記者発表までに恩田社長とご家族がどれくらい苦しんだかと思うと、
ショックで、なんとも言いようもなく、一日中頭を離れなかった。

いつも私はショックを受けたニュースについてはすぐにはブログには書けなくて、
頭の中で何がショックなのかを仕事の最中数日反芻し
自分の中で落ち着いて咀嚼してからでないと文章にできなくて、
今日になり、でも書こうか迷った。

つい2-3か月前に、
恩田社長は私が理事を務める岐阜市商工会議所女性会の例会でお話をしてくださって、
私が恩田社長にお会いしたのはその時が初めてだったけど、
印象として、
お若いのになんという一生懸命で、腰の低い、謙虚な方だろうかと思った
意外とお声が通らなくて、聴きづらいなとも思った。
まさかALSを発症されていたとは。

この記事、書こうか迷いました。
ご本人とご家族の苦悩を思うと、また、好き勝手に書いているネット上の書き込みを見ると、勝手に論じることに抵抗もあった、
でももしも私にできることがあるなら何かの力になりたい。
母の闘病中私の感じたこと、経験を踏まえて書くことにしました。


私の母はALSを発症し、長い間闘病し一昨年秋に天国へ行きました。
母は楽天家で天然ボケでのんびりした、でも芯の強い人で、
健康だけは取り柄で、風邪で寝込んだところなど一度も見たことがないような人でした。
まさか母が難病、しかもALSになるなんて、信じられないことでした。
今でこそ、バケツチャレンジなどでALSという名前は聞いたことがある人も多いけれど
当時は医療関係者でもなければ誰も知らなかった難病ALS
私はとにかくこの病気を知ってもらいたいのと、
進行性で治療法がないとどのサイト見ても書いてあるこの病気でも
何とかできるんじゃないかと、いつも頭の中はもがいていました。
家族それぞれの気持ちと母のALSの進行と周りの理解、色々が歯車が全く合わなくて苦しんだ時がありました。

症状が出てからずっと不安と絶望の淵にいたけど、
勇気を出して、このブログに母の病気のことを初めて書いたとき、
医師であり、読者である方がコメントで、
『ALSは次はこうなる、その次はどうなるというふうに先がだいたい予測できる病気ですから、まだその時点でできることをやってあげてください』と一言書き込まれました
もっともらしく、一見何気ない、でも無神経すぎるその医師の何気ない一言で
どれほど深く傷ついたか。
先が予測できるとはどういう意味なんだとつかみかかりたい気持ちになりました。単にその方には無意識に上から目線で書いたコメントに人が傷つくかもしれないという想像力が足りなかったのかもしれません。
でもどんな病気でも、患者とその家族は今を生きていて、そんな先のまだ起こっていないより悪い症状を淡々と予測して生活などしていません。
今の状態を少しでも治す目的でリハビリし、日々を大事に生きるのです。
実際母の病気の進行も一様に進んだわけではなく、ある時期は少し進行が速く感じることもあったけど、全く進行していないような時期もありました。
簡単に進行が予測できるなどということは実際にはなくて、もう治るんじゃないか?ある程度は良くなるんじゃないか?と本気で思える時期が短くない期間ありました。

病気が進行して思いを言葉に出来なくなった頃から、やったこともない短歌を詠むようになり、やったこともないパソコンを使って指先や足の動きだけで打ち込んで保存するようになりました。
それが、『生きてこそ』という短歌集になり、世に出ました。

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それが新聞記事にもなりました。
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120710141459609

お会いしたことのない方からたくさんたくさん心のこもったお手紙をもらいました。

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涙が止まりませんでした。これはまさに奇跡でした。
病気で声も出せない、ペンも持てない母が、その身体になってから新しいことを始め、
本を出すなんて、信じられないことでした。
人間の生きる力はすごいのだと母に知らされました


60歳を超えて発病した母にはそもそもの体力も少なかったと思います。
当時はALSは別の病気と誤診されることも多く、母もそうで
最初の病院では誤診で全く関係のない首の大手術もしたのです。結果それは母の体を相当弱らせました。

恩田社長はまだお若い。それに弱小チームを少なくとも注目を浴びるチームに成長させました。今後のチームに対するミッションもお持ちです。

母の力になり東京からお見舞いに来てくださったり、葬儀にも来てくださった
日本ALS協会の会長副会長を歴任された橋本操さんは、もう20年以上闘病生活を続けていらっしゃいますが、
今でも全国を忙しく遊説し患者を勇気づけています。
スマップのコンサートも欠かしません。お茶目な方です。
症状や進行は予測通りでは全くなく、人それぞれです。
恩田社長も橋本さんも病気と共存していてもずっとお元気でいてほしい。

ALSは真綿で首を絞められるような辛い病気。サイトや本で見る症状の羅列は確かにそうだけど、母を通してもっと色んなドラマを見たし、奇跡を見ました。
母が亡くなるころから、山中教授のノーベル賞受賞で話題になったiPS細胞に関しての話題や、アニメ『宇宙兄弟』や、三浦春馬さん主演のフジテレビドラマとかで、
急にこの病気が知られるようになり、昨夏はALSの啓蒙活動でアイスバケツチャレンジが著名人の間でも広がり、
以前ALSなんて説明しても誰も分かってくれなかったけど、今はこの大変な難病のことを名前だけでも知っている方は多いと思う。
でも現実はバケツチャレンジとかドラマとは全然違う。色んな意味において違う。
大変さも、涙の数も笑顔の数も。感動の数も。


私ごときが何も力にはなれないかもしれないけど、何かのお力になることができればと
心から思っています。



私の40歳の誕生日に、入院中の母と。