私のブログには時々母の短歌を載せていましたが、
先月、母の短歌集がとうとう出来上がりました。
私の母は、難病のASL(筋萎縮性側策硬化症)という、難病患者です。
今はもう、書くことも、話すことも、できません。
立つことも、座ることも、食べることも、自分で呼吸することもできません。
■身体中の筋肉が徐々になくなり、やがては『発声』『呑み込み』『呼吸』に関わる筋肉まで徐々に失う。
ただし、特徴として脳の働きは正常で、意識を通常に保ったまま、歩くことはおろか、食事・会話などの楽しみも、またメールなどコミュニケーションも、全てが不可能になる。
脳の働きはそのままに体の自由を全て、徐々に、奪われていく。真綿で首を絞められるように進行する苦悩に満ちた病状から、難病中の難病と言われる。
一度かかると、進行に早い遅いはあるものの、進行の一途をたどり、動かなくなる体と付き合っていく。治療方法はない。
発症からの平均生存年数は2-3年。
しかし、頭は私たちと全く同じ。五感は全く正常。
普通に感じ、普通に考えることができるのに、
目の前にかかる髪の毛一本を自分でどかすことができない、
声が出せないから、『髪の毛をどかして』と頼むことも出来ない。
苦痛を訴えることもできない。
口から流れ出続ける唾液でベタベタになる首と体の苦痛を感じながらも、
自分で拭くことも、拭いてほしいと頼むことも出来ない病気。
でも意識は全く普通の人と同じなのです。
そんな母が、今の状態になってから、コツコツと時間をかけて作った命の短歌集です。
出版を薦められ、自費出版で、このほど完成しました。
書は、妹が筆で書いたものです。
挿絵は、母の友人が書いてくれました。
病気と診断されてから、車椅子で行った家族旅行の写真を、本の中に掲載しています。
ピンク色が大好きで、この旅行のときも、ピンク色の服を着てます。
短歌はどうやって書いてきたかというと、
ALS患者専用のpcソフト、『伝の心』 を使って。
まだほんの少しだけ動く、足を使って文字を入力しています。
5文字入力するのに1分近くかかります。
頭の中で言葉を練り、
『五・七・五・七・七』の文章にし、
それを何度も頭で繰り返して暗記し、
一文字一文字、気の遠くなるような作業で、一句作り上げるのだそうです。
書くこと、声に出すことが当たり前の私には、
想像しがたい根気と集中力のいる作業。
■点滅したときに、下図のように、足の下においてあるパットに足の僅かな動きを伝える
足ももうほとんど動かないので、
うまく伝わらないことがほとんど。
何度も打ち直し、時間をかけて一つの句を作り上げます。
母は健康なとき、
決して活動的な人ではありませんでした。
目立たず、しゃしゃり出ず、 のんびり平和に過ごすのが好きなタイプの人でした。
結婚以来、パートもしたことがほとんどない専業主婦。
かといって料理が得意でも、掃除が得意な訳でもない、
というより、どっちか言うといい加減。
何事にも『まぁいっか』という感じの、楽天的な人でした。
縫い物も苦手、趣味もコレといってなく、
ただ友達がとにかく多く、井戸端会議が得意種目。
短歌を書くなどという高尚な趣味を持つお母さんではありませんでした。
母が短歌を書き始めたのは、
ALSが進行し、歩行が不可能になり、発声が難しくなり、飲込みも難しくなった、自宅介護の平成21年11月の深夜、
自宅介護、声がだんだん出なくなり、
買い物に行った大半の時間は、出会った近所のおばちゃんとぺちゃくちゃ世間話に費やされており、
自転車の後ろに乗せられていた幼い私はそのおしゃべりを待つのがどんだけ苦痛だったか。(笑)
もう70歳なのに、中学の同級生、高校の同級生だというおばあちゃまたちが、今でも母のところに何人も訪れてくれます。
そしてもうひとつ。
ノー天気そうだけど、芯はめちゃめちゃ頑固な人。
主張はしないけれど、ぼーっとしてるかと思いきや、細かいことにうるさくて、人の意見を簡単には聞かない頑固者。
そんな人でした。
3人兄弟の仲で、最も母と衝突した娘が私でした。
私にとっては反面教師、
今思っても、何が理由なのかはっきり分からないけど、
さんざん色々やってもらっているのに、
私は母のようになりたくなくて、
不満ばかりでいつも反発し、
本当に本当に、親不孝な娘でした。
子供の世話、夫の世話、姑の介護、犬猫の世話。民生委員と、
病気になるまでは、いつも誰かの世話をしていた人。
私が子供の頃、
『お母さんというものは風邪を引かないものなのだ』と真剣に思っていたほど、
母が風邪をひいたのは見たこともなく、寝込んだこともない。
夜は遅く朝は誰より早いので、母が横になっている姿はほとんど見たことがありません
とにかく健康が自慢の、
健康が取り柄の人でした。
まさか、母がこんな本を出すとは、
健康なときは思ってもみませんでした。
こんな大変な思いをして、自分の素直な想いを綴り続けようとは、
想像もできませんでした。
これは、家族にとっては、この上ない、感動と命の賜物なんです。
私の次男が生まれた頃、
生まれたばかりの次男を抱くと『重くて落としちゃいそう』と、危なっかしい母に、
『え?そんな重い?』と思ったことがありました。長男のときは1歳を過ぎても普通に抱っこしていましたから。
思えばその頃から、病魔は母を襲っていて、母の筋力は通常ではなくなっていたのでした。
私はそのことに全く気付いていませんでした。
母自身も、他の家族も、
単なる運動不足のぐうたら病だと、その頃は思っていました。
次男が生まれてから1ヶ月、電車で毎日私の家に通ってくれていた母。
歩くのも、動くのも、とても遅くて、家事がなかなか進まなくて、
『なんでそんなに遅いの?』と理由が分からなくて、イライラしたりしました。
本当にごめんなさい。
母にとっては精一杯だったのに、自分はぐうたらでやることが遅いんだと、自分を責めていたに違いない。
親不孝のきわみ。
平成21年に自宅介護中の誤嚥事故による呼吸停止で、意識不明となり、緊急搬送。
妹の人工呼吸の蘇生により、一命は取りとめましたが、集中治療室に1ヶ月ほど、意識ははっきりありながら24時間口から肺に太い管を入れられた状態で唾液がだらだら流れ出るまま天井だけを見つめる生きた心地のしない時間を過ごし、その後、一般病棟に移動。
その後、退院はおろか、一度も自宅に戻ることはできていません。
その間、集中治療室にいる間も、今も、意識は全く通常のまま自分に起こる試練に耐え続けています。
1年ほど前まで、右手の薬指がほんの僅かに動いたのも動かなくなり、今は足がほんの数ミリ、動く程度です。
少しでも少しでも、
元に戻ってほしい。
少しでも元に戻るのが無理なら、
少しでも、進行しないでほしい。
少しでも、幸せを感じてほしい。
少しでも、笑っていてほしい。
少しでも長く、ここにいてほしい。
短歌をつづること、
母にとっては、途方もない苦労な作業だけど、
一首でも多く、
私たちに聞かせてほしい。
母の短歌集。
病床からの明るい思い、優しい思い、
ぜひ読んでいただきたいです。





