使命っていうのはきっと誰にでもあって、
それは人それぞれだけど、
何かしようと決意したり、
事を始めたりすると、
必ず人との関わりが出てくる。
そして不思議なことに、
そこに全く関わらない人からの様々な思いも交錯する。
応援もあるけど、嫉妬やねたみもある。
大きなことを成し遂げる人ほど、応援の数だけ、事実と違う噂や、妬みによる中傷があるんだろうな。
そして妬んで中傷する人はそれを自覚していないことが多いので非常に無責任な言葉を悪気もなく平気で発する。
大きなことを成し遂げる人は、その、事実と違う無責任な噂や妬みによる中傷に耳を貸さず、ただ自分の信じた道を信じ、それでも人を信じて進んでいける人なのだろうなーと思う。自分にはまだまだ遠い。
普段は耳も貸さず放っておける無責任な言葉を
自分の大事な友人が耳にした時、その言葉を一掃してほしかったけど、その言葉に惑わされて私を確かめようと懐疑の目を向けた。一生懸命私の中にそのような部分がないかを友人は懐疑の眼で探った。何でも話し、彼女のことを心から信頼し心配している私にとっては大切な彼女。でも私に真っ向から直接私に質問することなく、彼女の懐疑心は態度に現われた。それは何よりショックなことだった。私自身を見ているにもかかわらず、無責任な噂に惑わされてしまうほど、私への信頼は薄かったのかと。自分が絶大に信頼していた人が外部からの簡単な一突きで変わってしまうのは、肉をえぐられるくらい辛い。
そういうときも、それに耳を貸さず、自分の信じた道を、過去の偉人たちはきっと進んだんだろうな。まだまだそんな殊勝な気持ちにはなれません。
知らない人の知らないところでの妬みも身体にまとわりつくような嫌な感じがするけど、大事な友人のそれは身体をちぎられるような感覚を覚える。
それでも、応援してくれる他の大事な人たちの温かい言葉に励まされて、信じた道を感謝しながら進んでいかなきゃいけない。引き返せないし。
ゆっくり私のペースで。
彼女は今もこれからも私にとっては信頼する大事な人だし、きっと月日が解消してくれると思っていたけど、肉をちぎられるような痛みはなかなか簡単には治らない。
大なり小なり、きっと誰にでもあることだと思う。
そういうのを重ねて、人は成長するのかも。
茂木健一郎さんの、
『嵐の中、微動だにせず、ただ黙って立ち続け、成長し実を結ぶ一本の木に、美しさと魅力を感じる、穏やかで整備された温室にいてそれを中傷する人生ほどつまらないものはない。』
というような言葉を見た事がある。
私は、嵐の中で立ち続けていられる一本の木ではまだまだ全然ないけど、つまらない人生にはしたくないなー。たった一度で終わっちゃうし。
自分の小ささや、自分のやっていることの小ささを素直に自覚しながら、少しずつ、一本の木みたいに、でもすごく支えられてるから、支えに頼りすぎず倒れないように、私の木を成長させていきたい。
あ!今ユリちゃんからケータイにメール!!
で思い出した!!
私今日、誕生日だ!!
ホンキで忘れてた^^;
アラフォーならぬ、ジャスフォー。Just40です。
こんな記念日に、朝から修行僧のような気分になってましたね。
今日はチャリティーメークです♪喜んでもらえるように精一杯やります♪