先日、
私の伯母(サチコ)が亡くなりました。
サチコ伯母は、母の姉ですが、母とは25歳くらい、
親子ほどに年齢が離れているので、
93歳の大往生。
亡くなる前日までデイサービスに普通に通い、
前日の夕御飯もしっかり食べて、
朝には冷たくなっていたのだそうです。
誰にも何も迷惑をかけずに、静かに、まさに眠るように、亡くなられたとのこと。
そこから学んだことがたくさんありました。
今日はサチコ伯母物語。
サチコ伯母は私には、とても良い人だったのですが、
なにせ、
7人兄弟の長女。
弟妹たちを親に替わって何人も世話し、育て上げた人なので、
それなりに厳しい人。
大河ドラマの竜馬のお姉さんの乙女さんのような。。。と言えば、
男勝りで気持ち良い人、って思われるかもしれませんが、
弟妹や、お嫁さんたちからすれば、
さからえない、きつくて意地悪な人。。。とも、思われやすい人でした。
子供がいなくて、
晩年は弟夫婦と、老老老家庭の3人暮らし。
同居の伯父さん(サチコ伯母の弟)のお嫁さんにあたる、
優しくておおらかな性格のエミコ伯母さんは、
私は小さい時から本当にお世話になって大好きだったんですが、
90歳の伯母と一緒に暮らしてからというもの、
ストレスで心臓を悪くし入院したり、
愚痴なんか言う人じゃなかったのに、あまりの生活感の違いに、
会うたび、90歳のサチコ叔母の愚痴を本当に苦痛の面持ちで言う始末。。
しかし、彼女を一人にして夫婦で家を出るようなこともできず。
見る見る表情が暗くなっていて、
見ていて心配になってしまうほどでした。
歳をとってから、
こんな精神的試練なんて、
本当に気の毒で、
私はどちらの伯母さんも大好きだったし、
なんかやるせないな~と、
感じていました。
その90歳の
周りからどちらかというと疎まれがちだったサチコ伯母ですが、
妹である私の母の病気を心から心配し、
自分も足が悪い中、
よく、お見舞いに来てくれました。
それでもたまに、余計な事を言ったりして、変に嫌われちゃったりするキャラ。
でも、私にも、私の息子たちにも、
本当によくしてくれ、
いつまでも健康で、
どうかなんとか、皆幸せでいてほしいと願っていました。
母も同じで、
病床にいて、言葉は話せませんが、
90歳の伯母と、エミコ伯母さんのことを、
いつもいつも気にかけ、心配していました。
エミコ伯母さんは、私の母が病気になってしまったので、
もう話を聞いてくれる人がいない。。。とよく私につらそうに嘆いてました。
それほどひどかったんです。
二人が歩み寄るのは、難しいな~と、私も、思ってました。
90歳のサチコ伯母が静かに亡くなり、
母に伝えるために、伯父と私とで、
母の病院へ行きました。
なにせ、母親代わりの姉だったので、
伯父は母の悲しむ姿を心配していましたが、
母は落ち着いていて、
まず、パソコンで、
「兄さん、エミコさん、今までサチコ姉さんの事ありがとう。」
と伝えてくれました。
私も、伯父もそんな言葉が母から出るとは思っておらず、。。
言葉を失い。。感動しました。
会話によるコミュニケーションが出来ない母ですが、
(ALS患者向けの画期的なソフトでパソコンを使って言葉を伝達しているのです。)
母は双方の伯母から頼りにされていたし、
彼女らの関係に本当に心を痛めていました。
私は今まで生きて来て、母の事がそのときほど大きくみえたことはありませんでした。
すごいなーって思った。
エミコおばさんは、姉であるサチコ伯母のこと、ストレスから、母に対してもかなり愚痴を言ってました。
母だって複雑だったと思います。
でもエミコ伯母はそうせずにはいられないほど、逃げ場がない状況でした。
それが分かっていたから、母は何も言わず、聞いてあげて、ただ心を痛めてました。
その画面を写真に撮りました。
病院の帰り、伯父さんが、
『なおちゃん、あの写真、伯父さん欲しい。印刷して。エミコに見せるわ。きっと喜ぶと思う。』
と涙声で言いました。
『うんOK♪』
伯父さんも両方の伯母さんの板挟みで、本当につらかったと思います。
お葬式などで、
少し慌ただしい時が流れ、
日常が戻って落ち着いてきて、
次に私が母を見舞ったとき、
びっくりすることを母がパソコンを使って教えてくれました。
電話台の上のノートの裏に、サチコ伯母さんが書いた字が残されてたそうなの。
『マサヒロさんエミコさん、本当にありがとう』って。
震える字で、書いてあったんだって。
パソコンに一字一字現れる字を見て、
信じられない気持でした。
伯母は、自分の死期を分かっていたのでしょうか。
どうしても残さなければいけない言葉があると思ったのでしょうか。
いつ書いた文章なのか、全くわからないけど、
震える字で残された短い一文は、
どれだけ私たちを安堵させ、伯父夫婦を幸せな気持ちにさせたか。
『おばさんはさんざん嫌われたけど、
おばさんにとってはこの世がきっと修業だったんだね、
感謝したくても言葉でいまさら言えなくて、苦しかったんだね、
亡くなってから、こんなに人を感動させられる人はなかなかいないよね
伯母さんは天国に行けたね。』
と私が母に言うと、
母は顔をくしゃくしゃにして、泣きました。
動けないので、私が涙を拭いて、落ち着いてしばらくして、
母がパソコンで書いた言葉
『ありがとう。こんな幸せな気持ちになったのは久しぶり。皆が幸せな気持ちになれて良かった』
私にとっては、その母の言葉が忘れられません。
母は元気な時にも、
そんな言葉をさらりと言うような人ではありませんでした。
のんびり屋だけど芯の強い感じで、クサい言葉を言ったりできない人でした。
私も母に対してそうでした。
今の私たちは本当に素直に、お互いを癒し合ってます。
病気は苦しいし、表面的には大変なことばかりだけど、
病気が運んでくれた良いことって絶対あると思います。
病気には感謝しなきゃいけないこともあると思う。
母の様子を見て、
『感動』って、すごいなって思いました。
感動するとどこかから見えないエネルギーがあふれるんじゃないかと思いました。
人の言葉に感動したり、
気持ちに感動したり、
映画だったり音楽だったり
それは色々だけど、
人の心を揺るがすほどの感動って、
これほど身体に良いものはないんじゃないかな。
母の病気は、
進行性の難病なので、
今後の進行状況の予測はできるけど、
改善する。。ということが望めない。
と、医学的には言われてますが、
母は微妙に微妙に、
改善してきているのです。
そういうことってあると思います。
それに私は楽観的に、でも心底、
母の病気は良いことばかり運んでくれて、
結局は治るんじゃないかなーって、思ってるんです。
伯母が最後に私たちにくれた幸せだな~と思います。
おばさんありがとう。
天国で母のこと見ててあげてね。