「愛国画報fromLA」様より転載です

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1912年に誕生した中華民国 は支那大陸を代表する統一政府とは成り得なかった。清王朝を倒して、わが国の明治維新に倣うはずが、軍閥など諸勢力が群雄割拠する戦国時代さながらの様相を呈した。1926年、孫文の死後、国民党を引き継いだ蒋介石 は国内の統一を進めたが、広大な地域や様々の民族を対象にして簡単に行く筈もない。その上、1920代になると、コミンテルンの指揮下で共産ゲリラが活動をはじめて一大勢力となる。1931年には毛沢東が「中華ソビエト共和国臨時政府」と呼ぶヘンテコ モノ を作っている。


云ってみれば当時の支那大陸は「内乱状態」だったのだ。既に日清日露戦争の大勝利を経て世界の大国となったわが大日本帝国に戦いを挑めるような状態ではなかった。最近は左巻きの影響で、日中戦争なる造語が定着しつつあるが、冗談じゃない。あれはあくまでも支那事変だ。わが同胞の命や資産を保護するため、国際法や支那との条約に則って、大日本帝国が陸軍を派遣したのは事実だが、侵略意図もなければ戦争を行う意志もなかった。たま たま 内乱に巻き込まれ、迷惑を被ったのはわが国だ。


さて、当時の国民党も共産ゲリラもとにかく弱かった。大した装備も持っていないし、軍隊としての訓練すらまともに受けていない。国民党は、軍人と云っても愚連隊上がりみたいな連中か、哀れにも強制的に軍隊に引きずり込まれた若い農民たちだ。もっと酷いのが共産ゲリラで、こっちは武装した盗賊に過ぎない。彼らが農村を襲い食料を強奪する。強姦や人さらいまでする。何のためらいもなく一般人を殺す。近代的な日本軍が来ると逃げまくり、その際、村や田畑を焼き尽くす焦土作戦を実行する。


だから、国民党や共産ゲリラは支那の民衆から毛嫌いされていた。反対に日本軍は現地で愛され支持されていた。なにしろ軍規が厳しくて行儀がいい。食料を現地調達しても金を払う。来るところ、来るところ、治安がよくなる。民衆にとってみれば、今度は随分立派な軍隊が来てくれたなと歓迎せざるを得ない。そりゃそうだ。当時の一般的な支那人は世界情勢など知らないし、国家の意識もなかった。日本は敵国ではなかったのだ。


察するに、戦後、統一国家を作った支那共産党が一番困ったのが、自分達に対する民衆の敵意だろう。われわれは抗日戦線で憎き日本をやっつけましたと宣伝しても、一般の支那人は全部嘘だと知っている。何云ってやがる、食料を強奪し、娘を強姦し、田畑を焼き尽くしたのはお前らではないかと、昔話をほじくり返される。畜生!悔しいアルヨと、毛沢東が云ったかどうか定かではない。だけど、かって日本軍が如何に残虐な行為をしたか、嘘をでっち上げ、口汚く罵りはじめた理由はただひとつ。己の罪を日本になすりつけることにしたのだ。「南京大虐殺」こそ、最大の嘘っぱちだ。





草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦在リ各員一層奮励努力セヨ。 





ちなみに最近、虚構の南京大虐殺事件を単純に「南京事件 」と呼ぶきらいがあるが、とても作為的だ。歴史を振り返ると、1927年、国民党支配下の南京で共産党ゲリラが暴動を起こし、日本、イギリス アメリカ イタリア 、フランスの領事館を襲撃して民間人を虐殺したのが「南京事件 」だ。蒋介石が共産党を敵視する契機となった事件と伝えられる。テメエ達に都合の悪い事件には知らん顔して、南京陥落にかこつけて日本に濡れ衣を着せようとは、支那共産党め、ふてえ野郎と呼ばねばならない。


河村たかし市長は支那中共の主張に耳を傾けてはならない。歩み寄る必要も全くないのだ。あんな国との国交など断絶したところで痛くも痒くもない。心ある国民はこぞって支持しているのだから、あくまでも正義と真実を貫いて欲しい。南京大虐殺なんてなかったのだ。