モンテッソーリ教育で子育てを楽しむアドバイザー香です。

深夜にたまたま見た再放送。
この番組も、遭遇すると必ず見てしまう。
奇跡のレッスン(Eテレ)
今回は、「アート編 違いはみんなのために」

イタリアのブルーノ・ムナーリ協会から来た、シルバーナ・スペラーティさんが今回の最強コーチ。
それを聞いた瞬間!


びっくりあ!!モビール!!

そう、モンテッソーリ教育では、生まれたての赤ちゃんに人生最初に贈るおもちゃの一つが、このブルーノ・ムナーリさんが考案した白黒のモビールなのです。

*見にくい写真でごめんなさい*

 

幾何学的にも秩序のある比率でとても美しいものです。
生まれたての赤ちゃんは置かれた場所で寝たきりで、何もできません。しかもど近眼の状態で、コントラストの強い物しかわかりにくいと言われています。
そこで、黒と白の最強コントラストで、視覚を刺激してあげるのです。
空気の流れでゆっくりと動くモビールは、まだ眼球を動かしたり、焦点を合わせるための筋肉のトレーニングが必要な赤ちゃんには、ちょうど良い動きで刺激を与えられるのです。

 

 

あ!びっくりそうでした。。。
番組の内容は、とても興味深いものでした。
シルバーナさんの授業を受けている14人の小学生の、7日間での飛躍的な成長や、与えられる課題に、
見ているだけなのにとてもワクワク
ラブラブさせられました。
その指導方針が、マリア・モンテッソーリの理論に、相通じる指導理論だと感じて、とても興味深い50分でした。

シルバーナさんが、子ども達にかける言葉、保護者との会話での言葉、今すぐ握手をしたい気分でした。

子どもが絵を描いたり、工作をすると、たいていの大人は、
「上手だね。」
「すごいね。」
「がんばったね。」
と、壊れたレコード状態ではないでしょうか。
子どもには、これらの言葉は簡単に使ってはいけません。
アートであれば、完成品に満足しているのか、イマイチと思っているのかは、本人にしかわからないことなのに、評論家でもあるまいし、上手下手で評価するのはおこがましいのです。


しかも、そもそもです。
子ども達は「結果」ではなく「過程」を楽しんでいます。


壊れたレコードの言葉ばかりかけていると、
大人に、親に、好評価をもらえなければ、それは価値がないだと言う概念を植えつけて行きます

私は、実際に4歳くらいの子に、できた絵を掲げられ、
「じょうずぅ!?」
と訊かれたことがあります。

そもそもアートは自己表現のはずなのに、評価され、同じクラス、同い歳の子の作品と比較されがちです。
保育現場の先生達は、いわゆる大人目線で、子ども達の作品に優劣をつけ、「上手」な子の作品の横に「下手」な子の作品を飾らないようにするなどという、バカバカしいことに時間を費やさなければ、保護者が子どもに相対評価を下して叱ったり、優越感に浸ったり、「うちの子がかわいそうだ」などとクレームになったりすることも少なくないのだそうです。

大人は、子どものしていることに対し、子どもらを比べて優劣をつけるのではなく、
過程を一緒に振り返って共感することが大切です。
 

何でも結果を求められる社会であることは確かです。
しかし、結果を出すためには、その過程が重要であるはずです。


試行錯誤、アイデア探し、調査や探索、比較検討。
。。。総合して自分で考える。


それが子どもの仕事であり、大人は存分にそれができる自由を与えることが子どもに対する大人の仕事です。
ちょっと先に生まれたからと言って、自分の経験の範囲だけでできている固定概念の枠を被せてはいけないのです。


「自分で自由に考える」

これができなければ、自分が心から満足のいく結果を出せる人間にはなれません。
大人が先に「答えと思っている答え」を教えたり、それに誘導してばかりでは、指示待ちしかできなくなる。
そう思いませんか?

番組の中で、いくつかグッ
恋の矢と来たシルバーナさんの言葉がありましたので、一つ紹介します。


『子どもに考える時間を与えないと、

      根っこの無い人間になる』
 

番組内の子どもは小学生でしたが、生まれた時から「自ら」が大切です。
ムナーリモビールは、
「自ら目で追い、自ら見ようとする」
チャンスを用意してあげることになるのです。