「他山の石を以て玉を攻むべし」よりも大切なこと
ふとした言葉で人は傷つくことがあります。そしてそれが多いのは、その人の表情や声のトーンから推し量れる対面的なやりとりの時ではなく、メールでの、ほんの些細な一言から。
私たちの脳内では、何かを「解釈」するときには、合理的に物事を判断するセンサーと、非合理的な感情で解釈するセンサーの両方が稼働します。そして何かショッキングな言葉に出逢った途端に、多くの場合は「感情で解釈するセンサー」がビービ―っと動きだしてしまうことが多い。それだから、傷つく、という反応が出てしまうのかもしれません。
何で、こんな言い方しかできないのかな…
情報がこんだけしかない中で、どうしろっていうのよ!(怒)
確かに私も悪い。けど、もっと他の言い方ってあるじゃないっ
・・・
そういえば先日の東洋経済の連載では、こんな記事も書きました。
こんなエラそうな記事を書く、かくいう私も、自分の鈍感さゆえに誰かを辟易させているかもしれないし、私もほんの悪気のない一言に落ち込むことだってあります。だから言葉って、言葉一つひとつは同じ意味を包有しているのに、言葉のつなぎ方次第でこうも異なる姿に変身してしまう。言葉って、とんでもない威力を秘めているものなのです。
言葉によって、私たちは歓び、そして哀しむ。
そして冒頭のように、何か言葉を誰かからもらったときに、「もっと良い伝え方あるのになあ…」と相手に責を問うことで、私たちは、他人のつまらぬ言行をもって自分の人格を育もうと思います。これが、「他山の石を以て玉を攻むべし」です。
しかし本当は、「受信する側」の工夫こそが大事だと思うのです。
日本の実業家であり、立花証券の父・石井久氏はこう述べておりました。
人の欠点が気になったら、自分の器が小さいと思うべきです。
他人の短所が見えなくなったら相当の人物、
長所ばかりが見えてきたら大人物です。
何か不意なる言葉を受け止めたとき、「他山の石を以て玉を攻むべし」を超えて、「思い込み」という歪みが入っていないかを考えてみるのです。
(もちろんいじめ問題や犯罪、一方的な嫌がらせなど人の倫理に反する行為は決して当てはまりません)
ABC理論というものがあります。これは、アメリカの心理学者アルバート・エリス氏が唱える理論で、「全ての結果は出来事によって生じるものではなく、その人の思い込みからもたらされる」というものです。
つまり、傷つくメールをもらったとしても、それは最初から「傷つく言葉」とは限らず、途中に入る「思込み」というバイアスセンサーが「傷つく」という結果を創ってしまっているということです。
今起こっていることは「自分の鏡」。そのような言葉が相手から発せられている、本当の根源はどこからきているのか?を考えるだけで、自分も何かやるべきことがあるのかもしれません。
自分の思い込みを是正するだけで、言葉はより素晴らしいものに生まれ変わることもある。
私も修行をもっと積み、何事も寛容的になれる大きな器を育てていきたいです。
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今週は鹿児島⇒東京⇒仙台⇒東京⇒神戸、と縦断的な移動をこなし、東京でもその他地域でも、イベント企画ビッシリで本当に楽しく過ごせました!
行脚はこれからも続きます。


