狂おしいほど愛おしい女性
今日は2人の伝説的な女性について綴ろうと思う。
まずはホイットニー・ヒューストン。
本当にショックだった。大好きだった。当時のセンセーショナルな映画The Bodyguardを想い出し、迷わず10数年ぶりに見返してしまった。
私にとって、Run to you やI Have Nothing は今も耳元に鳴り出す名曲だ。
音楽の鬼才は全世界に圧倒的な地位と名声を知らしめた。その規模累計アルバム1億4,000万以上。
アメリカの音楽歴史に明確な軌跡を残し、この歌声は私たちの魂を揺さぶった。
後世は薬物中毒や経済困窮に陥ったと報道され、48歳の若さで名残惜しくもこの世を去った。
あれほどの世界を震撼する歌姫を失うなんて、残念で仕方ない。
今回綴りたいもう一人の女性、マリリン・モンロー。
(マリリン・モンロー写真館さんより拝借)
30本ほどの映画に出演し、人々を至極ロマンチックな夢へと誘った。
ケネディ大統領とも親密な仲であった恋多き大女優。しかし頂点にまで上り詰めた栄光は、若干36歳の若さで花を散らしてしまう。
誰もがマリリンに目を輝かせその色気に釘づけになった。私たちはマリリンしか醸し出せない妖艶さに夢を見た。
しかし、多くのスキャンダルを抱えながらもマリリンは孤独だったという。
実際のマリリンは教養(高校中退)や生い立ち(孤児院出身)など劣等感の塊であった。
そのコンプレックスを打ち消すために驚異的な努力を重ね、大女優への階段を駆け上った。
そして晩年は薬物中毒に悩まされ、私の年齢と同じ36歳でこの世を後にした。
(参照:「マリリン・モンローという生き方」山口路子著 新人物文庫)
私は2人が気になってしょうがない。
ホイットニーもマリリンも拝みたくなるほど鬼才であり色気であり、同じ女性なのに「女性の中の女性」を感じてしまう。
しかし美貌の奥の素顔にはとてつもないほどの波乱があった。
美しい終わり方ではなく悔やむような形で一生を終えたのかもしれない。
実存的欲求不満というものを聞いたことがある。
日々の生活に意味を感じられず、自由と責任の重みに耐え切れなくなる状態だそうだ。
無意味感に襲われると、アルコール依存や薬物依存につながる確率が高いという。
もしかしてあれほど世界の視線を浴びると、プレッシャーは倍返しになるのだろうか?
巨大な光と辛苦をまともに受け止め続けると、波乱が恒常化して生きた心地がなくなってしまうのだろうか?
自分の意志とは関係なく、虚しさの渦に巻き込まれてしまうのだろうか?
私は当然、そのような喝采の渦中にいたこともないし、今後もないだろう。
真相は、わからない。
ホイットニーも、マリリンも、私のような凡人には手の届かぬ大スターである。
しかしながら思うこと。それは、「同じ女性」であるということだ。
普通の女性のように、同じように呼吸をして、同じように笑って、同じように傷ついて生きていたはずだ。
そう思うだけで、狂おしい程愛おしく感じてしまう。
画面の中で、小説の中でしか逢えないけれども、愛おしいお2人にこれからも深く敬意を捧げていきたいと思います。



