ゆきこの母です。

先月四十九日法要も済ませましたが、まだ気持ちの整理もつかないままでいます。

8月1日。生きていれば25歳3ヶ月。
夏が好きだった娘。
元気でいたならきっと「お母さん、どこかに出掛けよう!」そう言って目を輝かせて計画を立てた事でしょう。

毎日が辛くて寂しくて苦しいです。
何故あの子がいなくならなければいけなかったのか…そればかり考えてしまいます。

今回 ブログを更新させていただいたのは 四十九日も過ぎたので、娘がアプリに保存していた記事4つを公開しようと思った為です。
書いた記事の前2つはおそらくタイミングを逃したから…と思われます。
後の2つは 自分は弱音を吐きたかっただろうに、自分らしくないと思ってそれを隠そうとして無理に明るく書いているように思える内容です。
結局 自分の気持ちをうまく表現出来ずにいて投稿出来なかったのだと思います。


実は亡くなってから看護師さんに聞いたのですが、本人は4月6日に肺炎で緊急入院することになって、両親が入院荷物を取りに自宅へ帰っている間、脳外科担当医の1番信頼している先生から
「たぶん君の命は1年は厳しい。半年も…分からないんだ。でも決して明日ではないし、明後日でもない。だから今、やりたい事を考えて一生懸命過ごそう」と告げられていたそうです。
両親が病院に戻った時はいつもの顔でした。
でもその時は全てを知り、それを受け入れていた事になります。
5月1日に25歳になり その2日後に再入院した時は、親しい看護師さんに
「来年の誕生日は迎えられない。私はずっと25歳から歳を取ることはないの。辛いなぁ…」と弱音を吐いていたそうです。

そんな娘の胸の内も知らず、親は
「来年も絶対にお誕生日のお祝いをしようね!必ず治してあげるから。」
こんな言葉が娘をどれほど苦しめていたか…
だから娘は甘えも弱音も私達には言えなかったのだと思います。

親が思っている以上にずっとずっと強くて親思いの出来過ぎた娘でした。

この記事のあとに4つ続けて投稿します。
読んでやってください。