ゆきこの母です。

去る6月11日土曜日。
娘・ゆきこが永眠いたしました。
25歳でした。

今まで こちらを訪問しブログを読んでくださいましてありがとうございました。
亡き娘に代わりお礼申し上げます。
また、こちらにコメントをくださった方、舌会を通じてお知り合いになり娘を励ましてくださった方々に重ねてお礼申し上げます。


前回の記事を投稿した後も体調が良く、私と料理したり家事を手伝ってくれたりしており順調に回復しておりました。
4月2日にも家族でドライブするなど楽しく過ごしておりましたが、6日の診察日朝、少し熱があり診ていただいたら肺炎を起こしていました。
CT 撮影後、抗がん剤を予定していましたが、先生から「癌が小さくなっていない。今後の抗がん剤投与をやめる」…つまりは今後の治療を断念するというお話がありました。
「緩和ケア」痛みを取るだけの治療、それは何を意味するのか…
娘はその話をどんな思いで聞き、どれたけ苦しんだことでしょう。
でも親である私達には、前向きに「今 肺炎を治して体力の底上げをしておけば、また治療をしてもらえるかもしれない。この先、良く効く薬だって出来るかも!」と話していました。

4月19日には1度退院し、その数日後には姪っ子(従姉)とディズニーランドへ行きましたが、腰痛を訴えていてもしやまた骨転移か…と本人は分かっていたようです。

5月1日はゆきこの25歳の誕生日でした。
買ったばかりのお気に入りのワンピースでお洒落をして、家族でディナーを食べに行きました。
この時から、目が良く見えないと言い出していて、楽しい食事の間中、私はとても恐怖を感じていました。
薬を強くしたのでその影響であってほしい。
脳への転移ではありませんように…
そんな願いも空しく5月3日に緊急入院となり、脳・骨への転移が判りました。
目が見えなくなり、体の痛みも増すばかりでどんなに辛かったことか…。
それでも娘は前向きに「骨転移は放射線治療をしてもらったら1ヶ月後には痛みが軽減してるかも」と積極的に治療を受けました。
脳は何も出来ませんでした。ただ、脳の浮腫みを取る点滴だけを受けていました。

身体の自由が利かなくなってもやりたいことを考えて、娘は先生に「15周年のディズニーシーに行きたいな」とお願いしました。
先生・ナースの皆様のご協力で5月18日にほんの数時間出掛ける事が出来ました。
観たかったショーと、お土産をたくさん購入して「楽しかった~」と言ってくれました。
これが最後の外出となってしまいました。

お家に帰りたい、もう一度自分のベッドで寝たいなぁと話していた娘の願いは叶えてやれませんでした。

6月に入ってからは体の痛みが激しくなり、会話も殆ど出来なくなってしまいましたが、本当に最後まで頑張りました。
最期の晩、家族全員で病室にいましたが、呼吸は安定していたので主人が別室で寝てくるよ、と言った途端、呼吸も心臓も止まってしまいました。
本当に急でした。
まるで、お父さんどこにも行かないでって言ってるみたいでした。


主治医の先生やナースから、娘が生きたいと強く願い、頑張った姿勢は心を打つものがあり、一生涯忘れられない患者さんになりました…と言っていただきまして、親としてはその言葉が救いです。

短すぎる娘の生涯でしたが、最期まで全力で駆け抜けた、娘の生き方を誇りに思います。


娘はブログを書き始めて皆様に出会えた事にきっと感謝していると思います。
皆さんと、あのときは治療が大変だったね~と話ながらお酒も飲みたい、あんなに体が痛かったけど今はこんなに元気になってディズニーで遊べて幸せ~って言いながらブロ友さんと出掛けたいとずっと話しておりました。


皆様はこれからも治療が続くかと思いますが、決して癌に負けることなく娘の分まで闘い抜いてくださいね。

長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。