クリスマスには、たくさんの思い出が残っています。
ブログを書くことによって、ネタとしていくつか書かせていただいています。
軽井沢の古いクリスマスの楽しい思い出を、夜にダラダラ書いてみることにしました。
夏に呼ばれた旧軽井沢の立派な別荘。
そのオーナーさんと、東京で何度か会う機会があって。
「クリスマスに、あの別荘でパーティやったら素敵ですね。」というと、「私たちの年代では集まらないな。もし、よかったらあなたの仲間とクリスマスパーティやってみたら。」と。
それから数ヶ月経って、友人と計画を立てて別荘をお借りすることにしたのです。
私は30歳頃、昭和の時代に計画立てた思い出のクリスマスパーティです。
ちょっと一般的と違った感じのパーティにするために。
仲の良い、遊び仲間の3人で考えて。
参加者は、男女ペアで約20人。
同じ世代を中心に集めるつもりで。
男性を10人選んで、彼女やガールフレンドを一人と一緒に参加してもらう。
その女性のお相手は、いろいろな立場でもOK。
でもこのパーティはその男女が仲良くなるのがメインの目的ではなく、集まった仲間で新しいクリスマスパーティを楽しむことだ。
そして参加には、好みのクリスマスソングのアルバムを1つと、お好みのお酒を1本持参してもらうことにしました。
そしてエレガントではなく、セーター姿でカジュアルで参加すること。
クリスマスの1週間前の週末の金曜日の遅い夜に集まって、土曜の朝までパーティを実施。
このスケジュールって、多少問題があるようだが。
普通は休日に集まることが多いのでしょうが。あえて、パーティのスタートは金曜日の夜中23時にしたのです。
その当時は、北陸新幹線が走っていない時代。
仕事を終えて、金曜日の夜に車で東京を出発して、軽井沢まで長い距離を運転しなくてはならない。
これが、その時代の私たちにとって面倒で楽しい行為に思えていたのだろう。
・・このように、なるべく従来のクリスマスパーティとは違ったプランを考えたのです。
10月の後半から、参加メンバーを見つけ始めて、2人はすぐに賛同してくれました。
一人は豪華な家の息子で、海外の高級車に乗っていて夜に軽井沢に向かうのが楽しそうなタイプだ。
もう一人は、仕事も絡んでいるし六本木が大好きな遊び人。と言っても有名大学を卒業したかなりシャープな友人。
ところが、その後あまりメンバーが見つからない。
金曜日の深夜に、女性を誘って土曜の朝で終了するパーティは、自分一人なら良いが女性の同行が難しいのではないかと言う。
確かに、女性側から見るとあまり知らないメンバーのパーティに、一人で帰ってこられない軽井沢まで連れて行かれたら不安があるかも知れない。
彼との親密な立場なら賛同できないかもしれないけれど、まだ浅い関係では確かに疑問が残る。
別荘には、いくつかのベッドルームがあるのですが。女性たちのトラブルを考えて、比較的近くにある万平ホテルを二部屋予約することにしたのです。
何かあれば、ホテルに移動すれば良いようにと伝えられるように。
事前にこの別荘を3人で視察した上で、3人で準備が始まりました。
私と男性2人で金曜日の午前中に軽井沢の別荘に着いて。
二人とも仕事を休暇して、当時の渋谷の東急ハンズで、事前にクリスマスの装飾をたくさん買っていたものを車で移動してきた。
まずは、クリスマスソングを聴くために音響装置を準備した。
雰囲気のあるレコード機器があるのを知っていたので、持ってきた古いクリスマスレコードをかけたら、別荘の部屋の木材が振動するように気持ちよく聞こえてくる。
クリスマスソングを聴きながら、二人でその当時の電灯色の小さなイルミネーションを飾り始めました。
そして、赤と緑とゴールドとシルバーのボンボンなども付け加えて、案外短い時間で出来上がりました。
そして、知る人は知っている近くにある ”不二屋” という製菓店にケーキをもらいに行きました。
私はちょっと仲良くさせていていただいて、ドイツ的なクリスマスケーキを作ってもらったのです。平成の時代に閉店してしまったのですが、大正からあった有名なお店でした。(今でも懐かしい)
夕方、まだ明かりが残っている時間に準備仲間4人が到着。
男性が運転して、あと3人の女性は、準備仲間のガールフレンド。
デパートで、ローストチキン、フライドチキン、ローストビーフ、ポテトサラダ、カナッペなどのクリスマスイメージのある食材を20人分買ってきたのです。
それにワインを10本。
いくつかの、空間を分けて自由に移動したり話ができるように、2つのテーブルと、2つのソファーに空間を4つに分けて、別々のメニューを準備することになりました。
お皿やカトラリーは十分あって、素敵なものを見つけてテーブルにセッチングしました。
豪華に見えるワイングラスも取り出して準備。
最初の到着したのは、私と装飾していた男性の仕事仲間の少し先輩。
午後7時に到着。
私も何度か会ったことがある方で、彼女も同じ会社の仲間だ。
午後を休暇にして、手伝うつもりで早めにやって来てくれたようです。
テーブルの上を綺麗にコーディネートしてくれたりして、完璧なウエルカム体制ににしてくれた。
9時には完全準備ができて、8人で準備終了の赤ワインで軽く乾杯し終わったら、次々と車が到着してくる。
だいぶ外は温度が下がって、セーター姿で迎えに出ると寒くてブルブル。
でも部屋に入ると暖炉があるのです。
暖炉の経験なんて初めてで、とても体に染みる暖かさを感じることを覚えていました。
集合時間に、9組18人が集まって。本番の乾杯です。
まずワインで乾杯。
私たち3人の男性が注ぎに回って。
一応私が、 ”Merry Christmas” と声をかけたら、皆んなも合わせて ”Merry Christmas”。
タイミングよく「クリスマスソングの王様」とも呼ばれているビング・クロスビー(Bing Crosby)の曲をレコードで流してパーティはスタートしました。
当初は、一緒にきたペア同士で会話しているが、私たち準備人の3人は色々とみんなに声がけをしてラフな関係になろうとしたのです。
私は、7人の男性は知り合いだったのですが、初めて会った二人のところに顔をだして、「お疲れ様でした。こんな面倒なところによくきてくれてありがとうございます。」と挨拶。
「とんでもない。こんな立派なところでパーティなんて考えられません。」と喜んでくれていました。
女性は、ほとんど出会ったことのない人同士で、準備人のペア女性3人があちらこちら回り込んで楽しく挨拶をしてくれています。
最後の1組が30分後に到着。
軽井沢初めてきたので、道に迷って全然違うところに行ってしまったようだ。
暖炉の近くに座ってもらって、グラスを持ってきて、再度皆んなで ”Merry Christmas” 。
「これ持って来ました」とシャンパーニュと日本の人気のクリスマスソング。
ビング・クロスビーを終えて、この曲を続けてかけました。
みなさんが持って来てもらった酒類を小さなテーブルに置いて、自由に飲んでもらっています。
皆んな元気な世代だったのか、今考えるとかなりの飲んでいたな。
その頃から、皆んなは男女ペアがバラバラになって、いろいろな人と話ていました。
仲良くなった女性3人で、一緒に食べ物を用意して一緒に座ってはしゃぎ気味に盛り上がっていたり。
別の2人の女性は、じっくりと話しながらワインを飲み続けている。
男性はやはりペースが早くだいぶ飲み続けていましたが、皆んな明るい性格の人が集まって、嫌な雰囲気にならなくて楽しく肩を組んだりしている。
これって、女性と一緒に参加して来たので、やはり相手に対する礼儀的なものもあるのだろうなと私は客観的に考えていたのを思い出しました。
私もそれなりに飲んだのですが、いろいろの意味で管理人的な立場だったことを意識していたのだと思います。
一番最後に来た女性が、「このピアノを弾いていいですか」と言われ了解したら。かなり上手にクリスマスソングを演奏し始めたのです。
後で聞くと、有名人にになれてはいないけれど、ピアノの演奏を仕事としているようですから魅了的だ。
皆んなでピアノの近づいて、何曲かリクエストしました。
私のガールフレンドもピアノを弾こうかと思ったようですが、「よかった、弾いたら恥ずかしかった。」
このパーティであまり大きなイベント内容は作らなかったのです。
都会の街はクリスマスのおしゃれな格好をしているクリスマスシーズン時期。
でも軽井沢でカジュアルな格好でパーティに参加したのは、逆に思い出が残ります。
それなりに、おしゃれなセーターを選びましたが。
それにわざわざ、時間をかけて軽井沢までやってきて、初めて出会う人と会話しながらワインを飲むなんて興味のある時間。
実はゲームなども考えたのですが、それらは除外して普通に話をできる時間をたっぷりと作ることにしたのです。これこそ、クリスマスの思い出になると考えたのは正解でした。
特別な出来事はなく、たくさんおしゃべりして、たくさん飲んで、間もなく陽が上がる時間になりそう。
今回のパーティは終了です。
みんんが、「また来年も誘って欲しいです」と言って別れたのですが。
第1回目のこのパーティはお酒飲み過ぎで、すぐに運転出来る状況ではなかったことを反省。
別荘で一眠りしたり、女性にホテルのキーを渡してアルコールを脱皮してもらうことにしました。
・・・でもこのクリスマスパーティは、3年間続いた楽しい思い出です。
2年目は、もっと盛り上がったのですが。
その時出会った男性9人の中で、今でもお付き合いさせていただいているのは4人。
一緒に計画を立てた2人は、良く会っている仲間。
仕事で出会った後、このパーティに参加した先輩は、年がら年中お世話になっている。
そして、2週間ニューヨークに一緒に行って、深夜遊びまくった英語が得意な1つ後輩。
みんなにお世話になっています。
でも、女性陣は姿はほとんど忘れてしまいました。
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