叔母が入院していて、時々医師から呼ばれていた。
叔母は一人での生活していたので、私が連絡先になっている。
三日前、大分調子が悪くなっていると説明された後、叔母と面会すると、この数週間で明らかに弱ってきている。
でも頭はしっかりして、ちゃんとした会話はできていた。
細くなった手を握って「頑張って」と言って帰ってきたのですが。
それが最後の会話になってしまったのだ。
土曜日の夕方、電話があって危篤状態になっていると言う電話があって。
私は運転していた車を、逆方向に移動して病院に急いだ。
私が到着した時には叔母は意識がなくて、声をかけても反応がない。
親子とは違った関係のためだろうか、大分前から厳しい状態になっていることを理解していたからだろうか。
私は、あまり焦るような気持ちはなかった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240427/23/belle-blue/52/e5/p/o0400040015431295770.png?caw=800)
私は穏やかに看取る気持ちになって、パッヘルベルの ”カノン” を選んで、叔母の病室に静にノートパソコンから音楽を流しました。
かなり以前、”綺麗な音楽を聴きながら死ねたらいいね” と言う会話があったからだ。
叔母はクラシック音楽が好みで、サントリーホールに良く行って、音楽を聴いていたのを覚えている。
大きい音量ではないのに、病室全体にカノンが響き渡っている。
叔母は聞こえているだろうか?
聴覚は人間の最後まで残る感覚だと言うことを聞いたことがあるので、もしかすると聞こえているかも知れない。
「なぜ、カノンを選んだの?」と言う言葉が浮かんでしまった。
この場で、即座に偶然選んだ曲だ。
でも、カノンには「永遠に続く」という意味があるので。
気に入らなかった?
でも私自体が、驚くほど曲を辿るように聴いていた。
重い気持ちにはならなくて、かなりスローに流れている感覚で。
ドクターと看護師さんもその場で、叔母を見つめながら一緒に曲を聴いてくれていて。
曲が終わる頃のタイミングに、医師から亡くなったことを告げられたのです。
私は、頷いて。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240427/22/belle-blue/f4/f0/j/o0400040015431291600.jpg?caw=800)
もう一曲流してあげたいと思って、ドビュッシーの ”月の光” を選んだ。
かなり昔、叔母がピアノでこの曲を弾いていたことを思い出していた。
脳の意識が残っていて、もしかすると聴いているのかもしれないかな。
そして曲が終わった後、親戚関係に叔母が亡くなったことを電話しました。
今年のGWは、暗い出来事でスタート。
叔母の葬儀などのお手伝いで、ちょっと忙しい休日になりそうです。