小さな駅裏にある町の中華屋さんに、独りでランチで入った。
偶然出かけた町にあるカジュアルな中華屋さんで、思いの外に美味しい料理に出会うことがあるので、思いつきで知らない店に入ることが時々あるのです。

12時を回ったばかりで、そんなに大きなお店ではないのにお客さんがいっぱい。
私はカウンターに座って、まずは焼餃子とエビスビールを注文。
餃子が出来上がった頃にチャーハンを追加するつもりなのですが。

カウンターの奥にある厨房で、二人の男性が勢いよく料理を作っている。
この店は ”本日のランチ” が人気があるようで、野菜炒めの定食をフライパンと調理器の音がガンガンと響かせて何人前もの料理を作っている。
私は、調理人の素早い作業を見ながら、ビールを飲んでいました。
大きな調理音が響く中で、遠くにある小さなスピーカーから僅かに聞こえてくる有線放送の音楽。
聞き覚えのある、懐かしい曲が耳に入ってきた。
・・午前零時 寄り添う街路樹
街の影 青い影 ゆらめいて
二人の夜は熱いまま 時も忘れて ♪
この曲なんだっけ?
何回も聴いた曲だけれど、タイトルがすぐに思いつかない。
恋はゲームじゃなく 生きることね ♪
あっ、来生たかおの ”マイ・ラグジュアリー・ナイト” だと、このフレーズで気がついた。
歌っているのは、しばたはつみさんだと思う。
答えて 愛しいひと
今確かめたい
言葉より大事なこと
うなずくだけでいいから
私をただ 見つめていて・・ ♪

懐かしい曲に耳を傾けて聴こうとしたら、若いサラリーマンの3人組の一人が、歌詞を聞いて大きな声で二人に話しかけた。
「恋は、ゲームだよ。」と。
そのキーワードで、3人は笑いながら話し始めています。
会話は、私には聞き取れなかったのですが。
でも、その言葉にドキッとしました。
彼らと同じ世代に、私も「恋はゲーム」だと思っていた時があったからです。
私も ”恋はゲーム” だった。

”来生たかお” のファンで、これらの曲を良く聴いていた頃。
来生えつこの作詞も好みだったのに。
「恋はゲームじゃなく」の歌詞に対しては、私は「恋はゲームだ」と頭の中でいつも反論していたのです。
”恋” も ”ゲーム”の楽しさは、それほど違うものではないという思いからなのか。
”恋” も"ゲーム" も両方ともドーパミンがたくさん出るので、どちらも同じような楽しい行為だと勝手な考え方をしていました。
だから「恋も、ゲームのひとつ」と考えていたのです。
ドーパミンいついて(余談)
ドーパミン、セロトニン、オキシトシンは三大幸せホルモンと言われていて。
ドーパミンは快楽物質とも呼ばれ、楽しいことをしている時や目標を達成したとき、褒められたときなどに分泌されます。
ある行為でドーパミンが放出されて快感を得ると、脳がそれを学習して、再びその行為をしたくなるようです。
恋すると、「PEA(フェニルエチルアミン)」という脳内物質が分泌され。
フェニルエチルアミンも恋愛ホルモンとして知られる物質で、ドキドキ感や高揚感をもたらせてくれるのだそうです。
そして、PEAによって快楽物質である"ドーパミン”の濃度をグッと上昇するのです。
ゲームすると、プレイヤーの脳を強く刺激し、脳が興奮状態になるように作られています。
興奮状態になった脳は、快楽物質であるドーパミンを大量に分泌するのです。
ドーパミンが分泌されて、やる気が出て、幸せな気分になり、その結果ゲームに没頭していきます。(依存症に注意)
私のゲーム対象は、競馬を中心としたギャンブル系でしたが。大量にドーパミンが分泌していたとものと考えられます。
でも、ドーパミン的愛情のリミットは2~3年。
「燃え上がるような愛情は、2年しか続かない」と思っておいたほうが良いようです。
「長く付き合えば付き合うほど、結婚の可能性が高まる」と思うでしょうが、脳科学的に見ると「2~3年を超えると別れる可能性が高まる」と考えられるそうですよ。
また私は、 ”恋愛” と ”恋” を大きく区分していました。
一般的には、 ”恋は片想いで、恋愛は両想い” という考え方。
”恋” と ”恋愛” の決定的な違いは、 ”恋は自分の興味関心であり、短期間で成立するもの” 、 ”恋愛は相手のため、両者のためのものであり、長い時間をかけて育むもの”。
その頃の私は、"好きになること" 自体が楽しかった。
そして深さを感じる恋愛よりも、遊び感覚の ”恋のゲーム” で気楽に楽しみたかたのかも知れません。
・・もちろん、今このような意見を書くのは恥ずかしいのですが。
「恋はゲームだと思っているの」と。

ガールフレンドと、ドライブで鎌倉から帰る夜の遅い時間。
”来生たかお” が歌うアルバムが車内に静に流れていました。
恋はゲームじゃなく 生きることね
そうでしょう 愛しいひと
その愛の証し 通い合うこのひととき
うなずくだけで わかるわあなたの眼の輝きで ♪
マイ・ラグジュアリー
マイ・ラグジュアリー・イン・ザ・ナイト
曲が終わった少し後で。彼女は、私の方を向かずフロントグラスの前方をみながらゆっくりと話し始めました。

「あなたは、恋をゲームだと思っているのね。
私たちは、恋をテーマにゲームしてるみたい。」
彼女としては何か物足りない二人の関係を、この曲の歌詞を引用して私に告げたのだと思いました。
私は返す言葉がありませんでした。
実際その通りだったからです。
彼女のことは、好きな順番では1番だったのですが。 ”恋はゲーム” だから複数の人に恋をしていました。
この曲が流れた後はほとんど会話がなくなって、来生たかおの ”Goodby day” が流れていました。
Goodby day そして I love you
One more day また1日 信じていれば それでいい
Goodby day そして I love you
One more day また1日 穏やかならば それでいい
そして、彼女の家の前に車を停めると、振り返ることもなくさっさと帰っていく彼女。
でも、不思議に彼女とは別れることはなかったのです。
もしかすると彼女も、ゲームとして私と付き合うようになったのかも知れません。
きっと彼女との関係は ”恋はゲーム” だったのでしょう。
このような出来事があっても反省することなく、その後も私は ”恋はゲーム” として続けていたようです。
若いサラリーマン3人組が食事を終えて、私のカウンター近くのレジでお勘定するために近づいきました。
私が振り向くと視線が合ったので。
「恋は、ゲームの一つですよね。」と静に声をかけると驚いて。
「本当に、そう思いますか?」
続けて、ドーパミンと恋とゲームの関わりを簡単に話すと、すごく興味を持って。
「先輩、今度ここ来ますから、”恋はゲーム” の話でいっぱい飲みませんか?」

私はビールをもう一本追加。炒飯はやめて、おつまみを注文。
ビールを飲みながら、独りランチで 自分の ”恋とゲーム” を振り返っていました。
あの頃の ”恋はゲーム” と考えたことを少しは反省しようと思ったのですが、今でも "恋はゲーム" 感覚が残っていて。
曲は好きなのですが、「恋はゲームじゃなく 生きることね ♪」の歌詞が未だ頷けないのです。
変な性格が、まだ残っている私なのでしょうか。
マイ・ラグジュアリー・ナイト
作詞:来生えつこ
作曲:来生たかお
私の愛読しているブログ "takeshi2393さんのブログ" の先週のページに日本の音楽 ”来生たかお” の曲が載っていて、久しぶりに聴いたら懐かしかった。
続けて、中華店でこの曲にまた出会って。こんなブログを書き込んでしまったのですが。
takeshi2393さんのブログは、ブラジルの音楽を中心に紹介してもらっているのですが、そのブログに出会って私の音楽を聴く量が倍増した感じがしています。
素敵なブログなので、皆さんも寄ってみてください。(承認をもらわずに勝手に書いてごめんなさい)