私の耳鳴り改善の最大の対策は、 耳鳴りを逸らす 耳鳴りから意識を逸らす この概念が、私の耳鳴りの苦痛から脱してくれたとものと思っています。 この話は繰り返し記していますが、大事な耳鳴り改善対策だと考えて再度このテーマを書き込見ます。

私の耳鳴り改善の最大の対策は、

耳鳴りを逸らす

耳鳴りから意識を逸らす

この概念が、私の耳鳴りの苦痛から脱してくれたとものと思っています。

 

この話は繰り返し記していますが、大事な耳鳴り改善対策だと考えて再度このテーマを書き込見まました。

 

多くの医師は、耳鳴り患者に「気にしないように」と言う。

私も、何人もの医師に何回も「気にしないように」言われ続けてきました。

言われた通り、何度も「気にしない」努力を試みましたが。「気にしない」と脳で考えたり行為をすると、ますます気になってしまうのです。

ある程度以上の苦痛度を持った耳鳴り患者には「気にしない」ことが出来ないと思います。

これは、多くの耳鳴り患者にも実感していることでしょう。

 

医師に毎回 ”気にしないように” と言われても、気にしないことが出来なくて、どんどん精神状態が悪化して、「うつ状態」へと悪化してしまいました。

 

耳鳴りを忘れる行為をした

私は、耳鳴りの苦痛を脱却するために、耳鳴りを "忘れる行動" を積極的にしました。

瞬間でも、一過性でもいいから「耳鳴りを忘れる」行為を考えて、耳鳴りと対峙しないでいられる時間を増やしたのです。

この行為が、耳鳴りから意識を逸らすことになったのだと思います。

 

「気にしない」と「逸らす」と言う語彙を考えると。

耳鳴りの改善ワードとしては、意味合いからほとんど同様に思われます。

どちらも、耳鳴り改善のために ”スルーする”、”他に転じる” という意味から、差のないものです。

「気にしない」と「逸らす」の言葉の意味

気にしないというのは、”相手にしない”という意味。
”スルーする”、”受け流す” などと言われることもあります。
嫌なことがあったとしてもその嫌なことを相手にしなければ、それは「気にしない」ということになります。

逸らすと言うことは、向かうべき方向・目標からわきの方へ向ける。他へ転じる。

外からの力、心の動きなどを、わきにそれるようにする。ねらい・視線などを外す。

 

「気にしない」と「逸らす」はニュアンスが違う。

耳鳴り患者が、”気にしないように” と医師に言われると、耳鳴りに対して「気にしない」ことを自体を行為として実行しようとします。

しかし、ある程度以上に悪化している耳鳴り患者は、結果的に「気にしない」ことが出来ません。

”気にしない” は受け流す行為として、患者はついつい「気にしない」行為の実行のために耳鳴りと向き合って対峙してしまいます。その対峙がより苦痛化することがあります。

 

もし、”耳鳴りから意識を逸らす”という言葉を使われていたら、耳鳴りを逸らすための ”何かの行為” をするものだと考えると思います。

患者ごとに、”逸らす” 行為を考えて実行することによって、耳鳴りとの距離が少しでも離れて行く可能性があるでしょう。

 

私たち耳鳴り患者は、「気にするな」という言葉に大変苦労して、苦痛を促されている方も多いのではないかと想定します。

私の知り合う複数の患者も、これらの言葉のニュアンスの違いを大いに同感を得ているものです。

 

「逸らす」+ 教育的カウンセリンを希望。

医師から、「耳鳴りから意識を逸らすように」と言って欲しい。

そして、教育的カウンセリングを施してくれたら、私は精神的な悪化を逃れて、うつ症状にはならなかったのではないかと考えています。

 

耳鳴りの関連書には、”気にしない”と共に”逸らす”という言葉がよく出てきますが、医師の使う言葉の多くは「気にしない」。

もし、「気にしないように」と言われても、教育的カウンセリングをしっかりしてもらえれば、その意味合いを患者は解釈できるのかもしれません。

学書の文字をそのまま通用しいないで、患者が適切な理解ができるニュアンスも考えた言葉でお話ししてくれたら、微妙な耳鳴りと上手く関われると思うのですが。