後輩Mくんが、「山岸食堂なくなってから何年経ちましたかね。」と同じ道のりにあった馴染みのイタリアン食堂(あえて食堂という)のことを話し始めたのです。

銀座一丁目の裏町にある ”LA BETTOLA da Ochiai (ラ・ベットラ) ” で遅めのランチをしました。

イタリアンシェフで有名な落合務さんが独立して出店した店で、いつも人気のあるお店。

銀座に出店する前、東京赤坂のTBSの地下のイタリア料理店「グラナータ」の料理長の頃は、時々お顔を拝見したことがありました。

 

三人でそのような話をしながら、軽くワインを飲みながら美味しい食事をしていたのですが。

後輩Mくんが、「山岸食堂なくなってから何年経ちましたかね。」と同じ道のりにあった馴染みのイタリアン食堂(あえて食堂という)のことを話し始めたのです。

 

私は山岸食堂の、準常連(?)で後輩Mとよく行きました。

こじんまりとした店で、カウンター8席とテーブル2卓、16人しか入れない。

雰囲気は、名前の通り食堂なのですが、味は大のお気に入り!

私だけでなく、多くの食通が評価していたお店だったのです。

料理は家庭的な感じ。特別な高級食材は使っていませんが、素材を十分に引き出すアイディアと調理技術、そして何しろ情熱がこもっていた料理だったのです。

朝から手打ちのパスタを愛情を持って仕込み、極太手打ちバスタや、ラザニアがなんとも特別な美味しさだった。

ワインは、小さな水飲みグラスにラフに注いで飲むのです。

とてもカジュアルなイタリアン食堂。

仕事関係の知り合いをお連れすると、「ものすごく感動した料理でした。」と皆言ってくれました。

 

ただ、「予約の取れないレストラン」の一つ『山岸食堂』でした。

ディナーは、半年以上いっぱい。

ランチは、毎朝電話予約。16席を2回転の予約数で、朝10分程度で満員になってしまう。

と言っても、予約表など無くて、かなり適当なのですが。

ある時、どうしてもご馳走したい方がいて予約なしで行ったら、「予約していますね。」とウインクぽい仕草をして入れてくれたことを忘れない。

 

山岸シェフは無口で接客性のあるタイプではなく、ただ料理をカウンターの中で黙々と作るタイプ。

それでも、慣れてくるといろいろお話しはしてくれました。

従来は、シェフのお母さんが接客担当で、下町のおばさんのような世間話をしていたのです。私は、そのお母さんと仲良しでした。

ある日、お母さんが調子が悪いということで、その後シェフ一人で運営するようになったのです。

 

そんな10年前のイタリアン食堂の話を、著名イタリアンレストランでちょっと失礼な話だったかと思いながらも? もちろん、おいしい食事でした。

 

山岸さんは8年前、脂の乗り切った年齢で亡くなってしまったのです。

私はお店の前の道を、あの時期から何となく通りたくなくて避けていたのですが。

今日は、元の山岸食堂の前で、私と後輩Mで、美味しい味を思い出しながら軽く黙祷しました。

お亡くなりになったのが、この季節だったと思います。