私はね、

 

父が、亡くなって

何も 出来なくなって、

 

以来、3ヵ月後、

ようやく、

八事、興正寺の スケッチ会に

出ていけた時、

 

詳しいことも

何も聞かずに、

「あぁ、来たな。」…と、

言ってくれたことが、嬉しかった。

 

 

母と、同い年ということも、

親しく、思ったものです。

 

 

 

その後、

いろいろと、

お世話になって、喜んでいた。

 

母にも 話して、

母からの お菓子など、

持って行ったが。

 

 

いつのまにか、

アンタが、

セクハラ講師に なり下がったことに、

おおいに 失望した。

 

 

それが、

程度を 越えていたから、

購入した、アンタの絵を

持っていることが

本当に、不快になった。

 

 

 

 

貰ってくださる方が 居たら…と、

思って、絵を 持っていったら、

その絵の、お寺が、

その方の家の ゆかりの寺だと、聞き、

その方に、差し上げた。

 

 

いやだ、いやだ…と、

私が、持っているより、

喜んで、受け取ってくださるのなら…と、

差し上げたワケです。

 

 

お代など、

受け取っては、いません。

 

 

あんな、

不快な思いを させられた相手の絵など、

持っているのも イヤだったので、

 

ちょうど、

渡りに船と、

差し上げたのです。

 

 

その方が、

絵も、喜ぶと、思ったから…。

 

 

***

 

 

私はね、

私の 絵が、描きたかったの。

 

 

最初のうち、

先生の 

手直しが  入ると、

自分の絵では なく、

「先生の 絵」になってしまったから、

 

それも、いやだった。

 

 

 

だから、

その後、作品展の時には、

先生の 手直しが、

出来ないよう、

額装してから、見せたんです。

 

 

私が、目覚めて描いた、

「ギャルソン」 や、「想ひ Ⅱ」

 

特に、この2つの作品を、

けなしてばかりだったのは、

 

それに対する、

仕返しだったワケですか?

 

 

もっと、

オトナで、あって欲しかったです。