花粉症ではありませんので、くしゃみなどの症状はありませんが、口の中がザラザラする気がします。飛散量が多いのでしょう。マスク姿の方が随分目立つようになりましたね。

倉庫作業も好きでしたが、秋口くらいまで本当に下働き的な事ばかりでした。
何しろD社のミュージカルの為に採用されたようなものなので、入団後すぐに本番付きを担当できるはすが無かったのです。 
経験者(他社で数年仕事をしていた子)が1人いましてね。その子は別でした。すぐに全国公演に帯同して行きましたから。婚約者も居たのに、すごいタフだなーと思って見てました。

新人、、、特に女性を、いきなり全国公演クルーに加えるのは酷。(男性は別。力仕事ができますから)
東京で行なっている公演は意外と少ない。当時から東京一極集中には異議を唱えておられましたので、地方で行う公演が多かった。(宿泊費を負担してまで新人を行かせるわけにはいかない)

新人がいきなり活躍できるほど、この世界が易しい訳ではないことを、ある程度覚悟はしていましたが、来る日も来る日もコード作りとゼラ切り、時折O町倉庫での荷出しのみでは、モチベーションを保つのに苦労します。
させる仕事が見当たらないとの理由で、当時品川でやっていた猫だらけミュージカルの公演を、来る日も来る日も観るだけなんていう週もありました。(一部の同期は、その後この猫だらけミュージカルの本番付きになりましたが)

夏が過ぎると、赤毛の女の子が主役のミュージカルが、1ヶ月ほど大阪公演を行うこととなりました。大阪出身の子が、本番付きとして帯同する事になり(実家から劇場へ通えるので、こういう場合は劇団も何らかのポジションを与える事で、里帰りさせてくれました。この子は、後に大阪で開幕するD社のミュージカルの大阪公演担当として、長期に渡って戻ります)、みんな羨ましく見送ったものです。

入団直後のやる気と気合いは何処へやら、何となく仕事からあぶれた感満載の一群が出来上がってしまいました。
特にやらなければならないことも無いし、、、と長めの夏休みを頂いてしまいましたが、特にすることもなく、実家に帰る気にもならず、使う時があまり無く、貯まっていた給料をはたいて、バレエ公演を観て休みは終わりました。
ヨーロッパのバレエシーズンは、冬に始まり春に終わります。夏は外国公演で外貨稼ぎというのが通例なので、夏休みは海外バレエ団の人引越し公演が多いのです。

夏の暑さとともに腐りそうになっていた私でしたが、ようやくD社のミュージカル準備が本格化し始めました。
照明部の部長さんから声をかけられた時は、ようやく!と嬉しくなったのを思い出します。
D社ミュージカルの本番付きとして、台本を手渡されたのです。いつまでも下働きばかりの私に業を煮やしていた実家の親にも、ようやく顔向けできると思ったものです。

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↑D社ミュージカルは、赤いバラが象徴的です。