20年前、確か6棟だった倉庫ですが、今では倍以上の数になったそうです。そりゃそうだ、舞台は年々大掛かりになり、作品数も増えていってるもの。


信州の風光明媚なN県のO町に、劇団の「資料センター」と言う名の建物があります。
資料というのは表向きの呼び名で、現実は倉庫です。出番を待つ大道具、小道具、衣装、照明機材、音響機器など公演に必要な物が、ごっそり格納されています。公演に使用される物は、ここから公演地に送られ、公演終了後はここに返ってきます。
私たちがフ◯ントム小屋の裏手の道で作ったコード類も、溜まるとここに送られて、出番を待っておりました。

N県は日本のほぼ中央にあり、高速道路も整備されていますので、搬送拠点としてはうってつけだったのです。地方ならではの広々とした土地も、荷降ろし&荷出し作業にもってこいでした。
この倉庫のエピソードは色々あるので、何回かに分けて書こうかと思っています。今日は、「山荘」の方がメインですね。


N県には、もともと稽古場と称する建物がありました。みんなは「O町山荘」と呼んでおり、その名の通り歴史を感じさせる趣のある建物でした。稽古場とは言うものの、オリジナル作品の構想を練ったり、役者さんが読み合わせをしたり、幹部が時々ゴルフをしたりする時の宿泊先にも使われていました。

山荘とは別に、(時々会報にも載る)資料館も同じ町内にありますが、そこにすら展示されていない貴重な物も山荘には置かれていました。
色々な作品の初演時のパンフレットとか、オリジナルミュージカルの決定稿以前の台本が、さりげなく本棚に置いてある、と言った具合です。
(中国人とされていた日本人歌姫の舞台は、現在裁判シーンから始まっていますが、リサイタルシーンから始まる台本がありました。色々練られて、今の形に至ったのですね)

私達ペーペーには、一生泊まる機会は無いと思っていたのですが、代表のお考えでしょうか、団員ならばここに泊まって、劇団の歴史に思いを至らせて欲しいとの事で一度泊めていただくことが出来ました。
山荘のお風呂場に、大きな体重計がありましてね、役者さん達の体重管理にひと役かっている様でした。
この山荘はご飯がとても美味しく、お風呂も気持ち良く、見晴らしも素晴らしく、特別な気分になったものです。
あの時はありがとうございました。今でも良い思い出です。

本来スタッフは、倉庫にくっついてる宿泊スペースに泊まることになっていました。その山荘の一度を除き、私も合宿所のような宿泊スペースに何度か泊まっています。

一度、衣装さんが手直しをしている場に遭遇したのですが、畳にペタンと座り、外れかけているレースをチクチク縫い直しておられました。カーテンレールに、クリスティ◯ヌのオレンジ色のドレスが掛かっていて、なんだかワクワクしたのを覚えています。
自分のバレエ時代の衣装合わせの時を思い出したのかな、、、。
嘘か真か、衣装部さんは好みの衣装に一度は袖を通したことがあるとか無いとか、、、そうね、着てみないとラインなど分からないことが沢山あるのでしょうね。分かるわー着てみたくなる気持ち。
歌劇場の屋上シーンで着ている、クリスティ◯ヌのシルバーのドレスは、かなり重かったのを覚えています。
※私は照明なので、残念ながらどう頑張っても衣装は着ることが出来ません。そんな機会があったとしても、長身の私にはサイズが合わないの。劇団の女優さんは、みなさん小柄でしたもの。

次は、ここの倉庫での作業の思い出を書こうかな。