私が語るのは、20年前の昔話です。
あれから、演劇やコンサートに関わる物も随分進化を遂げました。LED電球とか、プロジェクションマッピングとか、、、。 


日比谷にあるN劇場の場合、仕込み以外は照明チーフオペレーターだけが劇団から劇場入りしてました。ピンスポットの操作や、舞台上のコードの引き回しなどは小屋付き(劇場を管理している会社)の照明さんが行うことになってたようです。
仮面の男のミュージカルの場合、どこへ行くにもバイクに乗って移動している男性チーフが担当でした。このミュージカルに関わりたくて劇団に入ったような方で、初演から現場のチーフオペレーターをされていたと記憶しています。

海外から輸入するミュージカルの場合、日本語の訳詞や台本が出来上がってくる前は、英語のオリジナル版で打ち合わせを進めるしかありません。訳詞もリハ中にコロコロ変わりますので、台本があがってからもアテにならない事が多くありました。
照明は専用の操作卓でオペレートするのですが、操作のキッカケは台本に書いていく場合が多いです。(だいたいリハまでには覚えてしまうので、本番では見ていません)
キッカケを日本語台本に書いてしまうと、訳詞や台詞が変わってしまった場合は役に立たなくなるので、日本語台本に英語の歌詞をワザワザ書いて(オリジナルの台本から写します)そこにキッカケを書いたりしていました。
仮面の男のチーフオペレーターも然りで、フ◯ントム小屋同様ボロボロの台本には、日本語訳詞に並んで英語が書いてあり、そこにキッカケが書いてありました。アベコベ台本ですね。
初演時はイギリスからアドバイザーが来日していたようなので、その時の助言なんかも書いてあったように思います。

音楽は変えてはいけない契約ですが、照明は劇場の構造や電圧や操作卓など様々な条件が上演国により異なるので、灯体の数、仕込む場所などはアレンジされています。というかせざるを得ないです。
日本に無い灯体を輸入する場合もありましたが、替え電球がかなり高価で、コスト的には負担が大きかった時もあったようです。
海外はラダー(rudder)と呼ぶ、舞台袖幕の中にある梯子状の場所に、灯体を仕込む場合が多いです。日本の劇場はタッパ(高さ)がないためラダーは邪魔にしかならず、斜め上からの照明効果も薄いです。斜めからの照明は、立体感を出すのに不可欠なので、即席ラダーを作ったりとなかなか苦労することも多かったです。専用劇場はこういう面でもメリットがあるのです。

照明にも時代考証がちゃんとされています。
仮面の男の舞台となる時代(19世紀)には、舞台照明はロウソクもしくはガス灯を使っていました。※最後の劇中劇では、係が点火するシーンがありますね。
なので、劇中劇は全部アンバー(夕焼け色)と呼ばれ、炎を連想させるオレンジかかった照明になっています。
それ以外の、隠れ家や歌劇場の屋上、墓場での青みの強い明かりとのコントラストが生きてきます。

19世紀中頃の劇場小話の一つとして、よく火事が挙げられます。ロウソクから引火するのですが、単純に倒したとか消し忘れただけでなく、バレリーナの衣装に引火したケースも多かったようです。
バレエというと、お盆を腰につけたようなクラシックチュチュを思い浮かべますが、あれは帝政ロシア時代にテクニックを見せるために発展した衣装の形です。19世紀頃はロマン派全盛期で釣鐘型の長めのバレエ衣装が主でした。ドガの踊り子の絵を思い出していただくとわかりやすいです。化学繊維の無いこの時代、すぐにぺちゃんこになってしまうスカートに空気を含ませてふわふわに見せるため、バレリーナはスカートを手で持って振ったそうです。結果ロウソクの炎が煽られてスカートに火がつき、命を落した踊り子もいたとか。
ロウソクはガス灯になり、時代が進んで電気になります。火傷に苦しむ踊り子も居なくなりました。
今のオペラ座(1875年竣工)の一つ前のオペラ座も火事で焼失してるんだとか。火事が華なのは江戸だけでは無かったようです。

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