あまり金銭的な豊かさは無かったものの、夢と希望と時間はあったハタチの頃。

1年生の頃は、漠然とした夢だけで生きていましたが、2年生になると就職を考えざるを得なくなります。
学生の中には、バイト先がイベント会社だからそこへ入るとか、地元にコネがあるのでそこの照明会社に入るという方も居ましたが、残念ながら私にはそんなコネはありません。
田舎に帰れば、地元のホールの管理会社くらいは入れそうでしたが、メンテナンスが中心の業務になるのは目に見えていて、コンサートや公演に携わりたい私は、帰る気にはなりませんでした。

学校には、イベント会社や照明会社からの求人が届いていましたが、業界的には最初の2、3年は見習いだという捉え方があり、とても食べていけるだけの給料は出ません。東京近郊に実家があり、そこから各ホールや劇場に通うのであれば生活できますが、一人暮らしは無理。仕送りをお願いしないと家賃の捻出と光熱費の支払いがやっとというくらいの低賃金です。
勢いで東京へ出たものの、こんなにこの業界が安月給だというリサーチができていなかった私は、求人票を前に愕然とします。(今のようになんでもネットでリサーチ出来る時代ではなく、チケットもぴあのようなプレイガイドで買うのが当たり前のアナログ時代のお話です)

それぞれの会社には特色があります。
バレエやオペラ公演を招聘し尚且つプロデュースする所、ロックのコンサートが得意なところ(こういう会社は旅公演が多い)、特定の劇場を拠点とし、その劇場での公演を担当するところ(「小屋付き」って呼んでました)など。
どこも魅力的なので、勤めてみたいのはやまやまですが、まずは生活できそうなお給料のいただけるところ、、、となると数が限られてきます。またそこが、行きたい会社であるとは限りません。

どうしようか、、、今更実家に逃げ帰るわけにはいかないし。と悩んでいる最中、同期の子が
「こんな広告がウチで取っている新聞に載ってたよ」
と、小さな切り抜きを1枚渡してくれたのです。

前述のように、まだまだアナログの時代。新聞は貴重な情報源のひとつでしたが、一人暮らしの学生には新聞を取る余裕はなく、そこに載る広告は盲点でした。
切り抜きをくれたのは、千葉県の柏市に住んでいて、今はお台場に本社を移したテレビ局の技術部に進むことが決まっている子でした。酔うと語り出す子だったのを覚えています。

ありがたいことに1年生の頃に観た某劇団のミュージカルを「面白かった」と私が話していたことを覚えていてくれ、その劇団の技術部が部員を大量に募集するという広告を気に留めてくれたようです。
後からわかった事ですが、その翌年に、海外産のミュージカルを東京と大阪で同時に開幕させる為の求人でした。

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