某有名劇団に入団したのは、親への反抗心が半分、興味と好奇心が半分でした。

高校生の頃、なぜか陸上部と演劇部の掛け持ちをしておりました。もともと短距離走が得意で200mの選手だったんです。
なのに、1年生の終わり頃、同じクラスの演劇部の友達に助けて欲しいと頼まれて、舞台照明の仕込みなどの手伝いに参加したのが最初だったっけなぁ?

バレエを習っていたのもあって、舞台とは切っても切れない縁があった私。バレエの発表会でも使用していた地元のホールで、馴染みのスタッフさんと仕込みをしたり、操作を教えてもらったりとなかなか楽しかったんですね。

この頃、バレエで食べていくのは無理だとしても、何か舞台に関係した仕事に就きたいと漠然と考えていたのですが、これには親が猛反対。
特に父は、バブルが弾けて景気が悪くなる一方だった為か「卒業後は公務員になり、婿養子を迎えて欲しい」。そればっかり言っていました。

父のお姉さんは宝塚が大好きな人でした。道楽者だった祖父の血だったようですが、私もこちらの血を継いだようです。勤め人になり婿養子を取るだなんて真っ平御免!そう思っていました。

さあ、このままでは家から出してもらえない。キャンパスライフにも彼氏のいる明るい青春にも縁が無くなってしまう。
焦った私は、バイトに精を出しました。稼いで稼いで、自力で家を出ようと決めたのです。バレエに学校にバイトに、親の怒りを買いましたが、忙しい毎日を過ごしました。
高校3年の半ばごろ、進学組が志望校を決める頃に、私は家を出ると親に独立宣言をしたのです。

蜂の巣を突いたような、という表現がありますが、当時の我が家はそんなものではありませんでした。スズメバチの大群が空襲レベルで総攻撃を仕掛けてきたみたいな大騒ぎ。
そこまで言うなら、地元の大学くらいなら行っても良いと、なんだか的外れの発言が親からありましたけど、私は「やりたい事をやるんだ!」
そう言って、若さと勢いに任せて3月末に卒業式を終えると上京したのです。

長くなったので、続きはまた今度。

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