3月29日は妻の誕生日でした。多分子供らは母親の誕生日を意識していません。


考えてみると下の子らは母親の存在していた期間と存在していない期間がほぼ同じとなり、母親の存在は非常に曖昧で希薄なものとなっている気がします。

長女には新たに神が出来つつあります。本来不寛容ではないはずですが、今まで宗教に全く触れていなかった思春期の長女には、神の教えは恐らく排他的に解釈されてしまったのだと思います。無宗教で葬式を挙げた母親の遺影に手を合わせなくなりました。


母親に対する感情は強制的に修整するものでないでしょうし、自分の親への感情を考えると率直に理解出来なくもない。


それでも、母親への愛を忘れてほしくないと思うのは、きっと今、私が子育てに行き詰まり妻からの助けを求めているからだと思います。