今日は妻の命日です。今までブログは書きたいときに書いてきたのですが、今日の気持ちは残しておくべきと思い書いています。

 

妻が死んでから2年が経ったわけですが、日々の生活、要は飽きもせずに姉妹げんかを繰り返している子供たちの面倒を見る生活を振り返ると、ずっと昔に妻を失ってたように感じます。

その一方で、妻がいないという違和感は未だにぬぐい切れず、まだ2年しか経っていないということを実感させられます。

 

今日はぼんやりと命日だなぁと思い、何を考えていたかというと自発呼吸をしなくなって脳死状態になってから死ぬまでの間のことを考えていました。今まで、その間のことを考えたことはあまりなかったのですが、何故か考えていました。

 

私は、脳死=死と考えているので、臓器提供の意思カードは、ほぼカードの導入当初から持っていて、提供する意思を示していました。

 

妻もそのことを知っていたのですが、絶対に臓器は提供しない、遺族として反対するから君の意思は関係ないというようなことを言っていました。

つまり、妻は脳死≠死と考えていたのかもしれません。少なくとも死人ではないと考えていたのだと思います。


私は今日までそのことをすっかり忘れていて、妻の考えを尊重していなかったことに気づきました。

 

もちろん、妻も脳死は全く感覚は無いし、意識することも無いということは頭では理解していたはずですが、それでも脳死状態の相手にも愛情を示そうと考えていたのに対し、私は愛情を示しきれなった。

 

もしかしたら、最後の時間は大して役に立たない夫であってもそばにいて欲しいと思っていたのかもしれません。なんせ、今まで経験したことのない、死というものに一人で向き合わなければならないのだから。

 

今思えば、ずっと付きっ切りでそばに居ればよかったと思います。

脳死状態とはいっても、温かく、軟らかかった肌を少しでも長く触れてやれば良かったと思うし、触れていたかったと思います。