障害者の就労支援に携わっている方のお話を伺う機会がありました。
障害者の就労といっても、障害者を雇ってくれそうな会社の中からできそうな仕事のマッチングや紹介をするのではなく、各企業からその人の特性に合った仕事をもらってきたり、新しい仕事を開発したり、ふつうの障害者支援とはかなり様子がちがいます。
従来のように会社の中でできる仕事を与えるのではなく、その人の長所を活かすこと、そして、それがピタっと合った時には本人のためになるだけではなく、会社にとっても大きな成果になる。・・・そんな実例をたくさん伺いました。
障害者だって、いろいろな個性や長所を持っています。
発達障害でも、身体障害でも、そして知的障害がであっても、得意なことでは抜群の能力を発揮できたり、とても優しい心の持ち主だったりと、光るような個性を持っている人がたくさんいます。
子どもが小さいうちは、できるだけ達成感を持たせるような経験をさせてあげることが一番大切なのだそうです。小さければ小さいほどチャンスもたくさんある・・・。
考え方も方法も斬新で、新しい視点をたくさん与えられました。
ひとそれぞれ、いろいろな悩みを抱えているし、乗り越えることはそんなに簡単ではないと思うけど、ちょっと視点を変えることで、道が開けていくこともあるんだな、と思いました。多くの人が、そして社会が、こんな考え方になってくれたらと思います。
できないところに目を向けるのではなく、その長所を周りの人が延ばしてあげる、そして、一人の人間として尊重することで、その人なりに社会の中で生きていくことがある。それが本当のノーマライゼーションなのだと思います。障害を持っていると、本人も親も、そのような視点でいるつもりでも、障害をカバーすることに意識が向きすぎるような気がする、と思うことがあります。
私の両親は(そして、先生や友達など周りの人も)、必要な配慮はしてくれていたと思うけど、あまり障害児として意識していなかったんじゃないかな、と思います。 そして、おだてに乗りやすい私の性格を熟知した(!?)両親がうま~く乗せた結果、それなりに失敗はしても必要以上に挫折することもなく、社会に出るまでのびのびと育ってきたようです。目も耳も悪いのは片方だけなので、残りの目や耳に負担にならなければ、本人にとってはそれほど日常生活に支障がないのですが、今考えると本人以上にやっぱり周りは大変だったんだろうな、と思います。
今日の講演で、そんなことを考えていました。
両親にも、見守っていてくれた方たちにも、”本当にありがとう”と言いたいです。職場でも普通に接してくれていたので、その意味では恵まれていたのかもしれません。
結局、ADDやDCDもあって得意なことと苦手なことの差が大きいのに、苦手なことは、やらずにすんでいたこともあって、自分の特性をつかみきれていなかったみたい。この数年はそんな自分の特性に気づくための時期でもあったかもしれない。
私も、それが職業に結びつくとまでは思っていなかったけど、その人にしかできない役割があるのではないかと思っていました。どんなひとも動くことや話すことができない人や、長く生きられない子どもであっても・・・。
そして、それに気づく時期や、その役割を担えるだけの準備をする期間も、それぞれに時があるし、それにかかる時間もちがうんだと思っています。
(今ごろ方向転換をする自分への言い訳でもあるんだけど・・・。)
私も未だに心理学という分野で何ができるのかは模索中ですが、自分にいちばん合ったものをを見つけていきたいと思っています。
障害者の就労といっても、障害者を雇ってくれそうな会社の中からできそうな仕事のマッチングや紹介をするのではなく、各企業からその人の特性に合った仕事をもらってきたり、新しい仕事を開発したり、ふつうの障害者支援とはかなり様子がちがいます。
従来のように会社の中でできる仕事を与えるのではなく、その人の長所を活かすこと、そして、それがピタっと合った時には本人のためになるだけではなく、会社にとっても大きな成果になる。・・・そんな実例をたくさん伺いました。
障害者だって、いろいろな個性や長所を持っています。
発達障害でも、身体障害でも、そして知的障害がであっても、得意なことでは抜群の能力を発揮できたり、とても優しい心の持ち主だったりと、光るような個性を持っている人がたくさんいます。
子どもが小さいうちは、できるだけ達成感を持たせるような経験をさせてあげることが一番大切なのだそうです。小さければ小さいほどチャンスもたくさんある・・・。
考え方も方法も斬新で、新しい視点をたくさん与えられました。
ひとそれぞれ、いろいろな悩みを抱えているし、乗り越えることはそんなに簡単ではないと思うけど、ちょっと視点を変えることで、道が開けていくこともあるんだな、と思いました。多くの人が、そして社会が、こんな考え方になってくれたらと思います。
できないところに目を向けるのではなく、その長所を周りの人が延ばしてあげる、そして、一人の人間として尊重することで、その人なりに社会の中で生きていくことがある。それが本当のノーマライゼーションなのだと思います。障害を持っていると、本人も親も、そのような視点でいるつもりでも、障害をカバーすることに意識が向きすぎるような気がする、と思うことがあります。
私の両親は(そして、先生や友達など周りの人も)、必要な配慮はしてくれていたと思うけど、あまり障害児として意識していなかったんじゃないかな、と思います。 そして、おだてに乗りやすい私の性格を熟知した(!?)両親がうま~く乗せた結果、それなりに失敗はしても必要以上に挫折することもなく、社会に出るまでのびのびと育ってきたようです。目も耳も悪いのは片方だけなので、残りの目や耳に負担にならなければ、本人にとってはそれほど日常生活に支障がないのですが、今考えると本人以上にやっぱり周りは大変だったんだろうな、と思います。
今日の講演で、そんなことを考えていました。
両親にも、見守っていてくれた方たちにも、”本当にありがとう”と言いたいです。職場でも普通に接してくれていたので、その意味では恵まれていたのかもしれません。
結局、ADDやDCDもあって得意なことと苦手なことの差が大きいのに、苦手なことは、やらずにすんでいたこともあって、自分の特性をつかみきれていなかったみたい。この数年はそんな自分の特性に気づくための時期でもあったかもしれない。
私も、それが職業に結びつくとまでは思っていなかったけど、その人にしかできない役割があるのではないかと思っていました。どんなひとも動くことや話すことができない人や、長く生きられない子どもであっても・・・。
そして、それに気づく時期や、その役割を担えるだけの準備をする期間も、それぞれに時があるし、それにかかる時間もちがうんだと思っています。
(今ごろ方向転換をする自分への言い訳でもあるんだけど・・・。)
私も未だに心理学という分野で何ができるのかは模索中ですが、自分にいちばん合ったものをを見つけていきたいと思っています。