ノータイトル。

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人生の一時期を残したブログです。

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「名古屋なんて…」が口癖、名古屋人の性格が謙虚な理由」、という記事について(日刊SPA!)。

https://nikkan-spa.jp/1431984

 

 

名古屋の人が…という話になると即、名古屋ナンバーを付けた車の荒っぽい走り方を引き合いに出される方、けっこういらっしゃいます。

でも、名古屋ナンバー=名古屋人とは言えないんです(⌒▽⌒;)

 

交通マナーについての名古屋ナンバーの悪評は聞いていますが、こういう見方もあるのだと知ってもらえたら良いなということで書いてみます。

名古屋ナンバーは、登録台数日本一なんですよ。
名古屋はモータリゼーションの進んだ街なので台数が多いのも事実なんですが、それ以外の要因として、名古屋ナンバーの範囲がすっごく広いんです。

 

名古屋市だけじゃないんですよ〜。

半田市、津島市、常滑市、東海市、大府市、知多市、豊明市、日進市、愛西市、弥富市、あま市、長久手市、愛知郡、海部郡、知多郡。
これらすべて名古屋ナンバーなんです。中部圏以外にお住まいのみなさん、名古屋以外にご存じの名称はいくつありますか?

 

※範囲がこんなに広いから、名古屋の運輸支局はいつ行っても激混みなのでしょう…。

 

ちなみにこれらの街よりも地理的には名古屋中心部にずっと近い、清須市や豊山町は名古屋ナンバーではありません(尾張小牧ナンバー)。


上記の中で名古屋文化圏と呼べるのは、かろうじて長久手と日進くらいじゃないでしょうか。
弥富、愛西市は三重県や岐阜羽島に近く、豊明や大府は三河に近いです。そのほかは知多半島! ぜんぜん名古屋ではありません(^_^;A


リンク先の記事のように、文化的に「名古屋」という場合は、城下町や名駅付近など中心部で生まれ育った人達が受け継いでいる性質のことではないかと思います。
 

この作品は映画化されているのでご存知のかたも多いと思う。テレビ等を見ないわたしでも何となく知っていたくらいだから。


死んだはずの妻(直子)の人格が娘(藻奈美)の体に宿るというファンタジー性が強い設定なのだが、いやいやどうして中身はドロドロだ。残された夫の悩み迷いの中に、正常な男女の関係から逸脱した二人の泥沼や粘着がこれでもかと描かれる。
物語の中盤以降は湧き上がる気持ち悪さを我慢して読み進めた( ̄_ ̄ i)

本作の評判がやたらと高いことに、わたしはまったく理解ができない。申し訳ないが理解できない。

親としておかしいのだ。
人にはそれぞれの価値観があるのは確かだが、それを差引いたとしても直子と平介は親としてのリアルに欠けるのだ。

物語では、藻奈美が小5で事故に遭ってから25歳で結婚するまでを描いている。

わたしは自分の娘が成長してくるにつれ、自らの少女時代はどうだったかと振り返ることが多くなった。
中高生女子の多くは親に部屋を探られたり、友人関係に首を突っ込まれることをとても嫌がるものだ。母親が自分の身体を使って自分の代わりを演じ、父親には行動も内面も筒抜けだなんて、いくら意識が飛んでしまっている状態だとはいえ藻奈美という存在が気の毒でたまらない。

このあたりを素通りしているから本作は不自然なのだ。

直子はアラフォー女性の感覚を持ったまま、藻奈美の体を使って二度目の若い人生を満喫している。一生懸命に且つ楽しく生きることが娘のためになるというのは確かに正しいが、娘自身の存在意義というものを全く無視している直子の母親像には、まるでリアリティがない。
直子の「母親としての」葛藤は表されることなく、「妻としての」葛藤ばかりが描かれる。実際は逆だろう。少なくともわたしは逆だ。

 


それに夫である平介。
話す内容や素振りがいくら妻のものだったとしても、肉体や声などは自分の娘そのものである少女に対し「お前は俺の妻だ」「お前を裏切りたくないから浮気や再婚はしないんだ」と詰め寄るなんて信じられない。ありえないだろう。
藻奈美が自分たち夫婦の子として生を受け小5まで育ててきたその11年間、藻奈美の未来を案じ祈ってきたのではないのか? 中身が直子に変わってしまったという異常事態が起きているとはいえ、藻奈美というかけがえのない娘へ注いだ愛情は消えてしまったのか? 
まったくリアリティがない。ありえない。

とどめはこれだ。高校生になった藻奈美(中身は直子)が「(夫婦の絆を保つには)心だけじゃどうしようもない」と、平介にセックスを誘いかける場面。わたしの顔は歪み、胃のあたりはムカついた。娘の体で夫に抱かれようとするなんて、母親だったら絶対に、絶対に、思いもつかないことだ。今これを書いていても吐き気に襲われる。

ありえない設定の物語では、登場人物の心理にリアルが無ければ感動を呼べない。
この作品で真にありえないのは設定よりも、両親である直子と平介の心理だ。
 

物語の終盤になると、消えたと思われた藻奈美の心がときどき戻ってくるようになる。そこで直子が心に決めたこととは…。

いかにもな感傷的シーン(ユーミンの「翳りゆく部屋」を持ち出すか・・・・)の連続で読者を引っぱっていった先の結末(結婚式)には仰天させられる。

巻末の解説には、「新しい出発を予感させます」と書かれているのだが、わたしにはとてもとてもそうは思えない。平介の果てしない絶望しか感じ取れない。彼が本当に肚を据え自分の気持ちを精算していたのならば、そこで号泣しないはずだ。

 

平介は孫を抱くより前に正気を失うだろう。

本作は感動の作品ではなく、男性作家ならではの、男性の地獄を描いたグロテスク小説だとわたしは思った。

男盛りの10数年間を抑圧し、しまいにこれでは…。
あまりにも残酷、ひどすぎる。

残酷小説だというのなら、多少は受け入れられるかもしれない。

【評価:★☆☆☆☆】

東野圭吾は優れたミステリー作家である。彼の作り出す人物設定はいつも非常に興味深いため、登場人物の心理へもう一歩踏み込んで欲しいと願ってしまう。

これはその意味での個人的な感想文。


結婚ってなんだろうな、と改めて思わされた。
結婚とは、形のある目的を達成するためのもの?
結婚とは、愛という形のないものを象徴化したもの?


真柴義孝は言う。「結婚は子供を儲けるためにするものだ」。
「男女の恋愛感情なんかいずれ消滅する。だから子供を作って家族になり、家庭を築くことこそに結婚の意味がある。その道のりを共にしてこそ生涯の伴侶というものだ。」
子供のいない夫婦は家庭ではなく、結婚の意味がないと彼は言う。

キレ者のビジネスマン・経営者でもある義孝にとって、自身のライフプランニングと結婚を切り離して考えることはできなかった。相手の女性が子供を産めなさそうだと分かれば、縁がなかったのだと割り切って別れることに決めていた。

そんな彼の考えは「女性を『子供を産む装置』だとしか思っていない男」などと強く非難される。
だがしかし作中で義孝を非難していたのは、男性も女性も未婚の者ばかりだ(それと作品の内容とは無関係なので、偶然かもしれないが)。

結婚し子供を儲け育てた方々に問いたいのだが、彼の考え方はそこまで非難されるべきものなのだろうか? 彼女がどうしても外国で仕事がしたいというので別れた、彼氏が自衛隊をやめないというから別れた、という話とどれだけ違うというのだろう?


義孝はそのような信条なので、これまで付き合ってきたどの女性とも婚約も避妊もしなかった←さすがに付き合い始めの頃はしたと思うが( ̄_ ̄ i)  妊娠したと分かれば即座に責任を取る=結婚する意思と資力があったからだ。

妊娠能力も含めた結婚の適性を、交際期間中に確かめようとしていた…といえば聞こえは良いが、強引で不遜なやり方だと思う向きもあるだろう。だがしかしそこは男と女の話、なおかつ義孝はビジネスの成功者。彼なりのポリシーに他人が文句を言う筋合いはないように思う。

 


妻の綾音とは彼女の断固たる主張(ここ重要なのでハッキリ書く。結婚前の、避妊具無しの挿入は絶対阻止)ゆえ籍を入れたが…それでもやはり、一年以内に妊娠の兆候がなければ離婚する、というのが条件だった。


綾音は、義孝の信条にあくまでも抗おうとしていた。静かながらにずっと抗ってきた。

彼の考え方は付き合う頃からわかっていたこと。承知していたことだったにも関わらず。
なのに何故?
やはり女性は最後の最後まで「私だけは特別」だと思いたいのだ。
「私の愛の力で変えてみせる」と信じたいのだ。
結婚が決まってからの綾音は、事実とても献身的に夫に尽くしていた。

だが彼の気持ちを翻すことが出来ないと悟った彼女は…究極的に彼を屈服させ、支配下に置こうとした。彼の運命をその手に握り、彼の人生に消えない刻印を残そうとした。

そう。
それに成功したからこそ…
義孝の不倫発覚にも、取り乱すことなく受け止めることができたのだ。女性としての敗北感よりも、義孝を征服したという満足感はずっと大きかったのだ。



若山宏美。
わたしは男女が好き同士になってしまったら、もう仕方ないと思っている。これは不倫になるからいけない、やめなきゃ、と思っているうちは未だ恋ではないのだろう。本物の恋は、すとんと落ちてしまうものだ…と思っている。

宏美は、妻の綾音の仕事仲間。
あまりに手近すぎるのではと感じなくもないが、義孝は恋愛をしたいのではなく、家庭を作るに適格な相手を探しているのだから。たまたま近くに素敵な女性が居た、と解釈してやるべきか(笑)
熱烈に恋をしたのは宏美のほうだった。


「不倫の子を産む」という宏美の選択について、ヤボと分かっているがこんな考察をしてしまうとことはわたしの職業柄だ(^▽^;)
作者がそこまで考えて書いたかは分からないが、現実的に考えて、義孝の個人遺産はその子に相続されることになると思う。義孝は若い頃に天涯孤独となったらしいので、産まれてくる子以外に推定される相続人はいない。妻であった綾音は相続権廃除だろうから、宏美が産まれてくる子のために財産を適切に管理し、役立てることになるのだと思う。

ほら…やっぱり子供をもつということは強いんだよ。義孝の言うとおりにね。
実はこの物語で一番残酷な部分は、もしかしたら、ここなのかもしれない。