夏の日である。
蒸し暑い部屋に電話が鳴っている。
誰も出ないまま長い間鳴り続けて、そして切れた。

帝国製缶が不況を打破するために企画した新商品は格安の蟹の缶詰であった。キチンキトサンを毎日食べよう!のキャッチコピーが大きく企画書に踊る。しかしながら実の所、中身はカニカマである。蟹の繊維質を加工成形しているため味も栄養価も半分は蟹である。不況下に格安の蟹缶は社の救世主となりうるか。帝国製缶の経営会議でも議論は白熱していた。この舞台裏には販売促進しようとする社長派と縮小経営で不況を乗り切ろうとする専務派の骨肉を争う抗争が日夜繰り広げられていた、らしい。

そんな蟹と蟹缶をめぐる抗争に想いを馳せながら、僕はぼやいた。

「蟹が本物だからこそ蟹缶なんだ。」
そして何と言っても蟹は脚肉だ。
缶を開いたときにほぐし身の上に太った脚肉がむっちりと身を横たわらせている。蟹酢の匂いと共に高まるその高揚感。それでこそ蟹缶だ。上等の蟹缶は芸術作品に比する。
カニカマを缶詰に詰めた所で蟹缶ではない。僕にはそんなまがい物の商品は信義にかけて許せない。

今日は僕の50歳の誕生日だ。
その誕生日に僕は一人、不似合いな直径24センチのバースデーケーキと一緒に正午のニュースを見ている。

折しも巷では大物政治家が行っていた国家規模の収賄事件が連日取り沙汰されている。
今日は事件発覚後、忽然と姿を消した政策秘書の行方を追う特番がニュースに組まれていた。
彼の持ち出した数々の証拠によって現政権が転覆するか否かの分かれ目となる。
大物政治家はもとより、対立野党、検察までもが躍起になって秘書の行方を探していた。

国民はそんなことに一喜一憂の騒ぎをする。つまる所、巷は実に平和であるということだ。

僕は八等分にカットしたケーキを一口食べた。ケーキの上にはテレビ番組に出てくる魔法少女の人形が置かれている。ひたすら甘い。使われているバタークリームも砂糖もてんで安物だ。安物のバター臭さに胸焼けがする。

僕はむせ返る油の臭いに辟易した。
夏の盛りに部屋からも僕自身からも、そしてケーキからも油の臭いが充満している。

魔法少女は窮に瀕したら変身して魔法が使える。僕は魔法も使えないし、それに見合う切り札もない。
手詰まりを起こせばそこでおしまいだ。

人生ってそんなものだろう?
勝つ人間もいれば負ける人間もいるんだ。

そして僕は負けたのだ。

帝国製缶の下請けとして20年間、蟹缶を作り続けた僕は、先日の帝国製缶の株主総会で専務派が逆転勝利をしたことで一挙に仕事を失った。
社長の独断決裁で僕の工場に発注された大量のカニカマ缶は難癖を付けられて納品することすら許されなかった。
僕の手元には商品にもならない夥しい量のカニカマ缶と多額の負債が残った。
給料を払う当てがないので工場は昨日のうちに閉鎖した。金融機関がやってきて工場を差押さえる念書を取られた。事業用地から機械、在庫に至るまで工場はあっという間に他人のものになってしまった。
それを知って妻と幼い娘は今朝、家を出た。娘が選んでくれた僕の誕生日ケーキを残して。せめてケーキは持っていけよ、等と言える気力は僕には残っていなかった。

先程から電話はひっきりなしに鳴り続ける。
借金取りたちが我先にと担保を奪い取りたいのだ。担保は工場だけではない。この家、土地、その他一切合財。
僕は全てを失ったのだ。

帝国製缶の社長には何度も電話をした。この窮状をなんとかできるのは社長しかいないはずだった。しかし、その社長も電話に出ない。

昨夜、山のような蟹缶と工場の終焉を前に呆然としながら、僕は床に転がっていた蟹缶を一つ持ち帰った。
箱詰め作業にあぶれて一つだけ転がっていたその缶は僕に似ている、そんな気がした。
本物の蟹缶にもなれないイミテーション。
これが目下、僕の全財産だ。

ケーキを一つ食べ終えて、僕は大きなため息をついた。
蟹缶を卓袱台に置いてクルクルと回してみた。それはクルクルと回り、そして止まった。厚みがあるのでコインのようには倒れない。蟹缶は表にも裏にもならない。

その蟹缶の下には昨日の新聞が広げられていた。見出しに大きく二億円と書いてある。
秘書の持ち出したコピー不能のデータチップに二億円の懸賞金が掛けられたらしい。
データチップは件の大物政治家も対立野党も検察も手が出るほど欲しい代物だ。懸賞金はこの数日間で見る間に金額が吊り上げられていった。

そんな金額があれば。
僕は何も失わなかったのに。
僕はひとりごちた。

もう終わりだ。
誰ともなく、独り言を呟いた。灯油の臭いが充満するこの部屋で誕生日ケーキを食べることにも飽きた。後はバースデーケーキのロウソクに百円ライターで火を灯せば、炎は灯油に引火して僕もろとも部屋を炎に包むだろう。

蟹缶下請け工場の事業主の焼死は帝国製缶に一矢報いることになるだろうか。それともそんな因果関係は新聞記事にもならず誰も知らずに終わるのだろうか。

僕の目の前のこの蟹缶が全ての因果関係だ。本物の蟹缶を作ろうと生涯をかけ、最後に残ったのは偽物の蟹缶だ。なんという皮肉だろう。だが仕方ない。それが僕の人生なのだから。

僕は蟹缶のプルタブに指を掛けた。
この蟹缶は商品にもならず廃棄処分となるしかない。せめて僕だけは中身を拝んでおこう。火を点けるのはそれからだって良いだろう?

蟹缶の蓋を開けようとしたその時、ニュースが突如切り替わった。
慌てふためいたリポーターが何事か実況中継していた。何処かの建物に人々が群れている。人の波が暴徒と化していた。揉みくちゃとなった群衆に怒号が飛び交う。
まるで海外のクーデターだ。だがそれは紛れもなく日本だ。

そして。

見慣れた外壁のそれは僕の蟹缶工場だ。押し寄せる奔流の如く人々が続々とガラスを割り、ドアを蹴破り、ハンマーで壁を打ち壊し屋内に侵入していく。僕が20年間心血を注いだ工場は人々によって壊されていく。

何が起こっている?

リポーターの中継は人々の熱気の中で全くマイクに入らない。

事情が飲み込めないまま、僕は唖然とテレビを見ていた。

番組は再び局のアナウンサーに戻った。
興奮した様子でアナウンサーは臨時ニュースを伝えた。

「保護された政策秘書からの証言で懸賞金の掛けられたデータチップは蟹の缶詰工場の材料タンクに投げ入れたとのこと。データチップは蟹の缶詰の中にある可能性が極めて高いと思われます。」

ニュースをいち早く聞きつけた人々が工場に殺到して蟹缶を奪い合っているのだ。万が一にもデータチップを探し当てれば大金持ちだ。どの人々も必死の形相である。バーゲンセールなんて比ではない。
もしこれが、工場を閉鎖する前なら、いや納品中止が決まる前なら蟹缶は飛ぶように売れたのに。
人生は奇縁だ。
その奇縁に僕はすんでのところで救われなかったということだ。

群がる人々の中には帝国製缶の社長がいた。その社長を押しのけて蟹缶を奪っているのはあの憎き専務だ。帝国製缶の重鎮達がこぞって押し合い圧し合いと揉まれている。
よく見れば朝出ていった僕の妻や子供もいる。テレビの端には件の大物政治家や対立派閥の政治家、時の御大臣たちが揃っている。どれ程の人間がいるだろうか。群衆は熱狂の中で僕の蟹缶を奪い合っている。

見知った人々のあまりの熱狂ぶりに僕は思わず笑ってしまった。
笑い過ぎて全身にかぶった灯油の臭いが鼻についてむせた。

いま僕の目の前の卓袱台にはライターと一つだけ持ち帰った蟹缶が置かれている。人生が奇縁に恵まれているのなら、もしかしたらこの蟹缶にデータチップが入っているかもしれない。
入っていなければ、その時はライターを着火すれば良い。それだけの話だ。

そう、それだけの話なんだ。

そうして、
僕は蟹缶を開けた。