って誰?って2時半過ぎに

高校時代の友人から突如としてメールが来ました(笑)

まぁ、それはたぶんわからないんですが…

証拠が多分ないからね。

ただし、現在競技かるたでは序歌として王仁(わに。と読みます)の


なにわづに  さくやこのはなふゆごもり いまをはるべと さくやこのはな


と言う和歌が必ず読まれます。

理由は日本に漢字を伝えた人だからだとか。

日本に文字を持ち込んだ人物だから、

そこから日本の言葉は生まれたとする考えらしくて、

百人一首の和歌たちの生みの親的な意味合いだと

私は勝手に思っています。←

私の思い込みは放っておいてw

そもそも何故そんなことを考えたのかを問うてみたら、



 人はなぜ歌うのかを考えていた。

 1番最初にうたった人って何を思って歌ったのか。


 特に詞にメロディーをつけることってどういうことなのか。



それらが気になって眠れないってーんで、

私が日暮し、徒然なるままにに思っていることを

返してみたわけです。


厳密には誰がはじめか多分わからないなと思いました。
歌は結構な確実性を持って、言葉より先に生まれてるから。

文字をもたないけれど歌うことをする民族ってのは

結構地球上にいるもんですからね。

日本だって古い時代の沖縄や北海道に生きていた人々も

そういう文化を持っていたとされています。
記録することよりも先に歌や言葉や感情は生まれていて

他にも文化とかそんなのを伝えていくために

文字が追ってできたと、私は思っているのです。

ちなみに歌は祈るためや感情を表すためにできたと思っていたり。
祈るためだったって特に私は思っておるのです。
だから宗教音楽はどの国も誕生年代も発達も早いし、

今もなくなってないものが多い気がする。
歌うのって人間として自然なことなんじゃないのかなって。

営みとしてね。
教えられなくても子どもとか歌うじゃないかーと思って。

ふさわしい答えかわからんがこんな感じって私論をぶん投げました。←

私は音楽に関して学がないしたいした能もないのですけど

間違いなく歌ってるの楽しいんですね。それだけじゃあないんだけれども。

私、その友人と出会った合唱部に入るのを

両親にあまりいい顔されませんでした。

バンドじゃなきゃあんた向きじゃないんじゃないのって。

その頃熱心に歌っていたのはJpopだったのでね。

いわゆる合唱曲のようなものは

合わないんじゃないかと考えていたらしいです。

あとはとにかく父親が合唱が好みじゃない人間だったから(苦笑)
ナンセンスだな。と思いました。当時も今もやっぱり思う。

私はきちんと歌える環境を与えてもらえれば

合唱曲も歌謡曲も校歌さえも関係なかったから。

むしろ基礎を疎かにしない合唱をきちんとやってみたかったから。

絶対に自分のためになるって思ったんですよねぇ。

だから結局、無視してほどなく入部(笑)

結果声量も安定したし、腹式呼吸をも身につけ、

喉を潰すことも格段に減りました。

でもなにより、一人きりじゃなく歌っていられたのが

どう考えても1番しあわせで1番の贅沢でした。


音楽なんだから一緒じゃない?って

私は音楽の種類で垣根を作ったりはしない、と

それから10年近く心に決めている私です。
楽しかったら綺麗だったらそれが全部でそれが1番いいと思う。

だって  音を楽しむ  って書くんだから。音楽って。

名は体/態を表すって私、勝手に信じてるんです。

人もモノもみーんな。


と言う私見(笑) 超ながいwww

いっつも付き合わされる友人が大変だなーと思いますw

申し訳なさくらいはちゃんと持ち合わせていますが、

如何せん、身上なんですよねぇ。

書くのは何故だか、どうしてもやめられないから(苦笑)

そんな真夜中でした。充実したやりとりしたなぁ

とってもしあわせなことです。


余談ついでに。

何事もできるだけ毛嫌いはしない。

食わず嫌いもしない。ほかの文化も一緒。

生まれてきてそれを大切にしている人がいるんだから大事にしたい。

自分が大事なものを否定されるのはやっぱり誰でも嫌だと思うから。

批評はいいけど批判はいけ好かないんです。

いったい誰が物事を判じる資格を持っているのか。

していいのは侮辱じゃなく評することまでだと私は思うから。

すべての物事をこうやって尊重し合って譲り合っていられれば

争い続けることなんてきっとないのだろうのにって思うんです。



ほんのすこし

となりのだれかに となりのなにかに

やさしくできる わたしでありたい