私のかりんとう病との付き合いは、かれこれ2年半近くになる。
そもそも私がかりんとう病を発症したのは一個前の会社に居る時で、
「かりんとう・・・食べたいな」
と思った瞬間に自分を抑え付けて買わなかったことに端を発するのだ。
あの時かりんとうを買って食べていれば、
今程こんなにむしょうに食べたくて食べたくて気が狂うような思いを味わうこともなかっただろう。
そもそも物体が「かりんとう」なのがいけない。
タバコは中毒性があると誰もが認めているから、
「俺タバコやめられなくてさ~」
なんて言っても理解して貰える。
今は病院で治療することさえ出来るんだろ?
立派に認定されてんじゃないか。
ビールも似たような分類に属しているし、
ちょっと特殊な感じはするけれど、
「炭酸中毒」
も納得される率が結構高かったりする。
だけどさ。
「私かりんとうやめられなくてさ・・・」
何て誰が真剣に聞いてくれるんだぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
・゚・(ノД`;)・゚・
言った後の皆の薄ら笑いが私には耐えられない。
明らかに侮辱してるだろ!
かりんとう病なめてんだろ!
あまつさえお土産にかりんとうを貰う率が非常に高くなったッ!
「好きでしょ」
といわれることが多くなった。
今では私が無類のチョコ好きだという事実より、
かりんとう好きだという認知度の方が高い。。。。
でもね。
皆、ちょっと誤解してるんだよ。
どうせ「かりんとう好き」というレッテルを貼られるなら、
ここでカミングアウトさせて頂いちゃいますけどね。
私は「かりんとう」なら何でも好きだと言うわけじゃないのよ。
黒糖じゃないとダメなの。
芋かりんとうとか、茶色いのとか、ちょっとオシャレーな色んな味とか、
そういうんじゃなくて、もっとシンプルのなの。
おばあちゃんの味のような素朴なヤツ。
黒糖たっぷりかかってるヤツ。
あれが好きなの。
あの中毒なの。
お土産大歓迎だけど、忘れないでくれたら嬉しいよ。
何か気付いたら宣伝みたくなっちゃってるけど・・・・。
違うんだ違うんだ。
今日日記を書いたのはそんなかりんとう談義ではなく、
「飢餓感」の話。
冒頭にも書いたけど、私のかりんとう中毒は一番最初に
「食べたかったのに食べられなかった」
ってことが原因なのね。
私は私なりに自分の中毒性を分析してみて、
もう後はいつでもいくらでも食べられるというのに、
その飢餓感がいつまでも深層心理にはびこっているせいだと思ってるの。
だから食べたい時はなるべく我慢しないで食べようと思っています。
が、そんなことを考えていて、ふと亡き祖母を思い出したんだ。
私が小3か4の頃、米不足ってあったよね?
世の中にタイ米とかカリフォルニア米とかが大量に出ていた時代。
うちの祖父の親戚(現在交流は全くないのだけど)筋には米を扱う人達が居て、
祖母はそこにお米を頼んでいてくれたので幸い我が家は比較的米に悩まされることはなかった。
けれどやっぱり全てのお米をその人達に分けて貰うわけにもいかず、
数回スーパーでお米を買ったんだ。
その頃「日本米を○キロ買うと一緒にタイ米が○キロついてくる」みたいな売り方をしていて、
我が家にもタイ米はあったし、カルフォルニア米にいたっては私も口にしたことがある。
そんな情勢下で、何故か全くタイ米を炊くことなくゴミ箱に捨てていた祖母。
そんなもったいないことをする祖母に半ば腹立たしさを覚えながら、
「戦争中は食べるものなかったんでしょ?
それを思えば食べられるんじゃないの?! 」
と詰め寄ったことがある。
そしたら祖母。
「戦争中に食べたくても食べられなかったものを今食べて何が悪い。
まずいお米なんて今まで散々食べて来たんだし、もう好きなものを食べさせて」
と言った。
一方で
「色々思い出すんだよ」
とも。
当時清く正しかった私はそんな祖母の言い分を「わがままだ! 」と思ったのだけど、今ならその気持ちがちょっとわかるような気がした。
食べたくても食べられないという「飢餓感」。
それは何十年経っても忘れられるものじゃないんだね。
かりんとうと比べるのはおかしい話だけど、
かりんとうの一件があったのでちょっと当時の祖母の気持ちが理解出来るようになったって話です。
シュールな結びだな。
そもそも私がかりんとう病を発症したのは一個前の会社に居る時で、
「かりんとう・・・食べたいな」
と思った瞬間に自分を抑え付けて買わなかったことに端を発するのだ。
あの時かりんとうを買って食べていれば、
今程こんなにむしょうに食べたくて食べたくて気が狂うような思いを味わうこともなかっただろう。
そもそも物体が「かりんとう」なのがいけない。
タバコは中毒性があると誰もが認めているから、
「俺タバコやめられなくてさ~」
なんて言っても理解して貰える。
今は病院で治療することさえ出来るんだろ?
立派に認定されてんじゃないか。
ビールも似たような分類に属しているし、
ちょっと特殊な感じはするけれど、
「炭酸中毒」
も納得される率が結構高かったりする。
だけどさ。
「私かりんとうやめられなくてさ・・・」
何て誰が真剣に聞いてくれるんだぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
・゚・(ノД`;)・゚・
言った後の皆の薄ら笑いが私には耐えられない。
明らかに侮辱してるだろ!
かりんとう病なめてんだろ!
あまつさえお土産にかりんとうを貰う率が非常に高くなったッ!
「好きでしょ」
といわれることが多くなった。
今では私が無類のチョコ好きだという事実より、
かりんとう好きだという認知度の方が高い。。。。
でもね。
皆、ちょっと誤解してるんだよ。
どうせ「かりんとう好き」というレッテルを貼られるなら、
ここでカミングアウトさせて頂いちゃいますけどね。
私は「かりんとう」なら何でも好きだと言うわけじゃないのよ。
黒糖じゃないとダメなの。
芋かりんとうとか、茶色いのとか、ちょっとオシャレーな色んな味とか、
そういうんじゃなくて、もっとシンプルのなの。
おばあちゃんの味のような素朴なヤツ。
黒糖たっぷりかかってるヤツ。
あれが好きなの。
あの中毒なの。
お土産大歓迎だけど、忘れないでくれたら嬉しいよ。
何か気付いたら宣伝みたくなっちゃってるけど・・・・。
違うんだ違うんだ。
今日日記を書いたのはそんなかりんとう談義ではなく、
「飢餓感」の話。
冒頭にも書いたけど、私のかりんとう中毒は一番最初に
「食べたかったのに食べられなかった」
ってことが原因なのね。
私は私なりに自分の中毒性を分析してみて、
もう後はいつでもいくらでも食べられるというのに、
その飢餓感がいつまでも深層心理にはびこっているせいだと思ってるの。
だから食べたい時はなるべく我慢しないで食べようと思っています。
が、そんなことを考えていて、ふと亡き祖母を思い出したんだ。
私が小3か4の頃、米不足ってあったよね?
世の中にタイ米とかカリフォルニア米とかが大量に出ていた時代。
うちの祖父の親戚(現在交流は全くないのだけど)筋には米を扱う人達が居て、
祖母はそこにお米を頼んでいてくれたので幸い我が家は比較的米に悩まされることはなかった。
けれどやっぱり全てのお米をその人達に分けて貰うわけにもいかず、
数回スーパーでお米を買ったんだ。
その頃「日本米を○キロ買うと一緒にタイ米が○キロついてくる」みたいな売り方をしていて、
我が家にもタイ米はあったし、カルフォルニア米にいたっては私も口にしたことがある。
そんな情勢下で、何故か全くタイ米を炊くことなくゴミ箱に捨てていた祖母。
そんなもったいないことをする祖母に半ば腹立たしさを覚えながら、
「戦争中は食べるものなかったんでしょ?
それを思えば食べられるんじゃないの?! 」
と詰め寄ったことがある。
そしたら祖母。
「戦争中に食べたくても食べられなかったものを今食べて何が悪い。
まずいお米なんて今まで散々食べて来たんだし、もう好きなものを食べさせて」
と言った。
一方で
「色々思い出すんだよ」
とも。
当時清く正しかった私はそんな祖母の言い分を「わがままだ! 」と思ったのだけど、今ならその気持ちがちょっとわかるような気がした。
食べたくても食べられないという「飢餓感」。
それは何十年経っても忘れられるものじゃないんだね。
かりんとうと比べるのはおかしい話だけど、
かりんとうの一件があったのでちょっと当時の祖母の気持ちが理解出来るようになったって話です。
シュールな結びだな。