誤解を恐れずに言うとしたら、
私は結構な割合で戦争モノのお話が好きなんだと思う。
いや、好きっていうと語弊があるな。
興味深い!
ってことだ。

戦争を体験したことのない私が戦争について書くと、
どんな書き方をしても説得力もないし、
何より「お前に何が分かるッ! 」と言われてしまいそうだと思っていたの。

事実私には何もわからない。

だから適当に辺り障りのなーい感じで無難な意見を携えていた。



でもちょっとあれ? っと思ったのだ。
きっかけが「少年H」という本。
戦時中、神戸に住んでいる少年の小学時代から17歳位までの話。

中国と戦争をしている最中で、
「戦争」はどっか遠い国の話だと思っている少年が、
段々第二次世界大戦の流れに翻弄されて、
「あれ? 」「あれ? 」と思うことに直面して行くというもの。

盲目的に何かを信じることに疑問を抱き、
けれど時代背景がその疑問を許さない。
不敬罪、治安維持法その他諸々、今なら有り得ない法律を公布されて、
それに異議を唱えることが許されない世界。



今では考えられない。



でも一昨年位に通信のスクーリングで日本史特殊という科目を受講して、
戦争当時の政治背景を学んだ。
そこで初めて知ったのだ。
人間の煽動力の怖さを。

自分のプライドの為に誰かが死の危機に直面していたり、
国体の為に人が命を投げ打てる世界。
周囲が盲目的に賛同することの怖さ。
それに異を唱える難しさを。


それまで「戦争」と言えば図書室で借りた「はだしのゲン」とか、
高校で強制的に読まされた「長崎の鐘」とか、
そんなモンばかりだった。

勿論それはそれで一つの出来事を辿る資料なんだろうけど、
でも根本的に
「どうしてこんな状況になってしまったのか?? 」
が私の中にはすっぽり抜け落ちてしまっていた。



戦争がイヤならイヤだと言えば良かったじゃないか。
そう思うことこそが戦後に生まれた自分達の財産なんだということに気付かなかったのだ。

去年「永遠の0」を読んだ時にも思ったけれど、
今回「少年H」を読んでもやっぱり思った。


発言出来ること。
違和感をどんな規制もなく口に出来ること。
当たり前のようでいて、実は全く当たり前じゃない貴重な自由なんだということを。



少年Hの中で、主人公はこう思う。
「みんなが同じことをいうのは怖いなぁ」
と。

人は人と違って当たり前で、
感じ方や意見はそれぞれが違う。
たまたま一緒になったことで共感を呼び、接点が生まれて、
反発する意見の中で理解し合う心が育まれる。

でも戦時下の日本では自分が思うことではなくて、
「こう思うべきだ」というのが最優先されて、
そんな「べき」が乱立してついに「○○べきだから国の為に死ね」ということに繋がった。



「こう思う」と言えることが当たり前に思える自分は心底幸せだと思った。


適当に意見を合わせて。
面倒だから誰ともぶつからないで。

最近はそう思ってゆらゆら生きていたのだけれど、
やっぱりちょっと違うのかもしれないとふと思った。

思ったから、
自分の言いたいことを記しておく。
戦争は経験してないし、
何を偉そうに・・・と思われそうであんまり戦争についての話を日記にはしなかったのだけど。

自分の思うことは言っていいのだ。
(言いたい放題でいいという極論ではない)