ある大学の授業動画♪

 

〇〇論という言葉を聞くと

もの凄く難しい内容に思われがちだけど

 

物事を難しそうにしているのは

 

実は難しそうな言葉に置き換えられた発信者側の問題と

受け入れる側の凝り固まった思考

 

このふたつが とても簡単な問題も

難しくややこしく思わせてしまうトキも

あるのかもしれないね

 

 

この動画で23:45辺りから

授業内容全体の大まかな話をしていて

(ここまでは授業の単位の取得法等の説明が殆ど)

 

文科省の推奨する授業の目的到達目標

そして、先生の思われる到達予想地点?

 

方向性は同じ筈なのに

ここまで言葉と表現が違ってくるのも、、、

 

 

社会とは、誰もが生活している「この世界」であり

 

支援とは、ボランティアと思われがちだけど

 

家族や友人にふいに

「がんばって」「大丈夫?」という誰もがかける言葉

それもすべて『支援』であるというコト

 

ヒトの行動のすべてが

誰かのモチベーションアップに繋がりもするし

反対に落としてしまうこともある

 

ヒトとの関わりすべてが『支援』にも繋がるというコト

 

 

なのに?今更 この『支援』を

大学生にもなって学ばなければならない意味

 

それは 大学生でなくとも

 

大人になってもまだ

これを間違えてしまっているヒト達も

沢山いるように思えてしまう💧

 

 

ヒトがヒトと関われば

そこには『支援』が生まれている

 

何もしていないつもり でも

 

ヒトは相手から何かを受け取り

それをまた別の誰かにリレーしてゆく

 

その中でミスだったとしても

嘘を教えてしまうコト を

 

「間違った支援」として 感じていないヒトが

本当に多過ぎると感じてしまう此の頃。

 

 

友達同士での雑談であれば

間違いも簡単に正せる のだろうね

 

でも、キャスやチャット、掲示板等での発言は

雑談ではなく

 

教室で挙手してする発言 と似ている

 

そんな風に思うのにね

 

そうだとは感じていないヒトも遥かに多いから

ネットでの揉め事が絶えないのかもしれないね💧

 

 

「間違った支援」をしてしまうくらいなら

 

「しない方がマシ」

 

それくらいは知っておくべきだって思う。

 

 

公にナニカをする際に

主要な関わりをもつヒトが傷つけられることになるのなら

 

それは「間違った支援」であり

 

どこかが「間違っている」

 

「間違った支援」を続けることだけは

してはイケナイ

 

 

自分の大切なヒトが傷ついているのなら

 

それは「間違い」だょ

 

 

全部でなくとも

そこには「勘違い」があり

 

話合う必要があるということ