とある所で見かけたコトバ

 

”信じたものに本気で向かい合うと実現する”

 

これって、どうだろう

 

 

新月の願いごと と同じで

「ただし、自分に関することだけ」

 

こういう注意書きが必要なんだって

思ってしまうトキがある

 

対ヒト である場合

 

期待は裏切られることも

遥かに多くて

 

 

サプライズも『裏切り』だと云うヒトもいる

そうかもしれない けど。。。

 

『ヒトへの期待』は

 

し過ぎるヒトが悪い のか?

 

分かり合えていないのだから

諦めが肝心 なのか?

 

そんな風に思ってしまうトキもあって

 

♪~どんな小さい一歩も 明日に繋がるよ~♪

 

例えば待ち合わせをしていて

「もうすぐ着くよ」って、一度連絡を貰えば

 

それは『期待』に変わってしまう

 

 

『期待』をさせない のが正しいって

言ってるんじゃなくて

 

『期待』をもらえる事って

明日への『希望』にもなるものだから

 

「ヒトに期待をしちゃいけない」

そういうヒトもいるけれど

 

自分でも、ヒトでも

『期待』がなければいけない って思う

 

『推し』を応援するってコトだって

そこに『期待』があるから だし。。。

 

 

でも、ふと思ってしまうコト があった

 

『待ち合わせ場所』に到着するのに

超特急列車でくると思ったのにね

 

「鈍行列車に乗ってしまった」汗

 

そういう場合、一度謝られてしまうと

ヒトはそれ以上は責められなくなるよね?

 

「どうすることも出来ない」のだから💧

 

でもね、思ってしまうかも

 

 

「どうやって過ごしていたの?」

 

それが『肝心』なんだって。

 

 

「そこにキャバクラがあったから

 そこで楽しく過ごしていたよ」

 

これって、どうはてなマーク

 

 

どうすることも出来ない時間を

「楽しく過ごす」コト は間違ってはいないあせる

 

でも『時と場合による』という注意書きが

どこにだって必要な事なんて

 

『大人の常識』なんだよね

 

誰かが自分を待っていて

遅くなるコトに「ごめんね」って

気持ちがあるのなら?

 

そこに『自粛』が生まれるのが

「大人の対応」

 

 

その『常識』がわからないヒトは

 

どうするのだろうね

 

 

 

 

TODAY ♪LiSA

 

 

居なくても大丈夫!

 

そういうヒトになってしまうと

「終わり」はやってくる

 

そこに『安心』がなければ

 

『依存症』に『安心』はないからあせる

 

 

これも間違えちゃいけないのが

 

『慈愛』虹

 

 

「ドーパミン」の方にも

『愛』と書かれてしまっているケド

 

「ドーパミン」の方は

ハッキリ区別するのなら『恋』なのかもね?

 

これは愛情の区別として書かれた表だから

両方が『愛情』とされてしまうけど、、、

 

 

多分、学術的に感情の中に『恋』は入らなくて

『恋』は「原動」とされてしまうのかも?

 

自分を信じて。。。☆彡