先日、Sちゃんがうちに遊びに来てくれました。
思いつくままに、いろんな方面に話が飛びながらも、
「歳の差があるのに、こんなにわかりあえるってすごい!」と、
とっても満たされた気持ちを味わっていました。
そんな流れの中で、Sしゃんから衝撃発言が・・・
Sちゃんとは13年前にあるスピ系施術院で出会いました。
その時は、他にもお仲間ができてみんなで楽しく通っていて、
その内の3人とは今でも仲良くさせていただいています。
定期的に4人で会っては、ワイワイ楽しくよもやま話をしています。
みんな性格も生活も年齢も違うのに、
価値観や思いベースが似ているので(たぶん)、
誰をも否定せず、誰からも否定されない関係で、
共感したり、ある時は刺激をもらったり、
基本、安心して話を聞いてもらい、話を聞くという
そこは井戸端会議的な時空間で、
とってもいい関係です。
その4人の集まりの日程調整をいつもしてくれているのがSちゃん。
一番若くして、一番のしっかり者。
で、まったく違う生活形態の4人の予定を合わせるのは、大変です。
時期を見計らっては、アプリ?で各自が入力するスケジュール表を作ってくれるのですが、
それへの私の入力についての違和感の話になりました。
「私には「△」が多い」ことが、理解できないとのこと。
私としては「???」
よくよく話をしていくと、
私たち二人の「△」に対する「捉え方」・「定義」・「思い込み」が、
そもそも違っていることが判明しました。
Sちゃんの「△」は、50%「〇」で、50%「✖」。
どちらかというと、50%以上「✖」の感覚だったようです。
「✖」なら、他の予定を入れられるけど、「△」だと保留状態だから他の予定を入れられない、
「△」にするなら「✖」にしたらどうかな?ということでした。
そういえば、、Sちゃんの予定に「△」はありませんでした。
もし、Sちゃんが「〇」にしていてその日に決まったとしても、
やんごとなき予定が入れば、事情を話して変更してもらうだけのことで、
それに対してとやかく言うメンバーではない確信していること。
私の場合は、
「〇」は、90%以上 OK
「✖」は、50%~100% NG
「△」は、75%~90% OK
のような感覚で入力していました。
たとえば、「次は12月に集まろうね!」というアバウトな口約束を他の人としてしまうと、
その可能性がある限り「〇」にはできず、「△」になってしまいます。
ただし、私の「△」は、限りなく「〇」に近い「△」で、
他のメンバーの予定次第で、先に他の予定が入らない限り、
すぐ「〇」になる「△」でした。
自分的には、先に決まった方優先なつもりでした。
そして、その奥には、自分の都合で、決まった予定を変更すこことは
なんとしても避けたいという気持ちがありました。
世の中的には、
どちらかの「捉え方」の方が多いとか少ないということはあるでしょうから、
どちらかに合わせたほうが合理的で、齟齬が少なくなるのでしょうが、
だからといって、多い方に合わせた方がいいという話ではなくて、
どちらが正解ということではなく、
「そう思っていたんだ~」
「話してみないとわからないもんだね」という結末。
「〇〇ちゃんは、「△」に対してそういう思い、捉え方をしていたんだね」と二人で笑いました。
「『相手を認める、違いを認める』って、こういうことことなんだ!」
そして、それができると
「とっても優しい気持ち・幸せな気持ち・満たされた気持ちになれる!」
という体験ができました。
そもそも・・・
「△」について、
他の人がどのような認識を持っているかなんて考えたことがなくて、
まして、私の「△」に違和感を持っていたと思ってもいなかったし、
最初は、頭が真っ白になってしまいましたが、
Sちゃんの認識を聞き、自分の認識を話して、
「お互いの認識の違い」があることがわかって、
「△」ひとつに、こんな認識の違いがあるのだということがわかって、
「そうなんだ~」って「違い」が理解できたら、
「じぁ、今まで通りで良いね」ってことになりました。
私の「△」は、「〇」に近い「△」だって理解してくれました(笑)
ずいぶんわかりあえていると思っていたのに、
こんな小さな?認識の違いで、人は違和感を感じ、
そしてそれが積み重なると、イヤな気持ちにもなってしまうし、
知らないうちに私は相手に嫌な気持ちをさせ、
迷惑をかけていまっていたのだということがわかりました。
それは間違いなく自分の中でも絶えず起きていて、
でも、その違和感に気づかないのか、気づいてもスルーする癖がついているのか、
あるいは、常識的な認識を基準に、違和感を感じるい自分がおかしいと切り捨てているのか・・・
「違和感」って大切!
この何気ない話から、
数々の気づきと学びを得ることができました。
何より、この話題を出してくれたSちゃんには、感謝です。
「話してみないとわからない」というものの、
まず、その話題を出してくれないことには、
「お話にもならない」わけで、
この件では違和感を感じなかった私から気づくということは、ありえませんから。
そして、
「みんな違ってるんだ・・・!」ということを、
全身全霊で実感できました。
「わかりあえてる、似ている」という心地よさに、依存してました。
「違って」いて当たり前。
冷静に考えてみて、
「同じ」なんてありえません。
「『みんな違う』というのが大前提」なんだというのが、
大きな学びでした。
こんなにわかりあえていると思っていたSちゃんでさえ、
「△」において、こんなに「違い」があったのですから(笑)
だからこそ、相手を理解すること、しようとすることが大事で、
そのためには、地道に、きちんとお互いの本音で話し合うこと、
自分の本音を伝え、相手の本音を理解するということが大切なんだと再確認しました。
私には、、自分では認識していない「思い込み」「決めつけ」が
かなりたくさんあるのだろうという気づきもありました。
ここでは、「自分では認識していない『思い込み』『決めつけ』がある」ということを、
自覚しておく必要があるのだと学びました。
お互いが理解できたあとは、
それまで以上に、Sちゃんが大好きになりました。
こんなにスムーズにことが運んだのは、
仲が良くて、話やすい間柄だったからですが、
これが、あまり快く思っていない相手ならどうでしょう?
相手に聞くこともなく、こちらの勝手な決めつけで、
相手を悪人に仕立て上げるのだろうな・・・。
真っ先に思い浮かんだのが、「主人」。
数年前までなら「母親」。
反省・・・
目が覚めた!って感じ。
とっても地味だけど、
私には、世界観が変わるほどのすごい体験でした。
それからも、この件からの気づきは、芋づる式に繋がっていくのですが、
今日はこの辺で!
Sちゃんからのお土産
Sちゃん、ありがとうございます。


