千葉・安房神事⑤ 「忌部塚」共存共栄の精神を伝えた忌部族☆ | サリーのBe happy☆

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次に向かったのは、「安房神社」の近くにある「忌部塚」です。

 

安房神社の境内に所在するこの洞窟(安房神社洞窟遺跡)から、

人骨22体、貝輪等が発掘され、

この遺跡は縄文時代後期から晩期のものと考えられています。

 

安房神社は、安房忌部氏の祖神を祀ったものとされていることから、

出土した人骨は先祖である忌部氏と考え、

再埋葬した時に「忌部塚」と名付けたそうです。

真相は不明。

 

「忌部塚」

この日はもう暗くなっていたので、撮影は遠慮しました。

お墓なので。

この画像は、2020年のものです(別件)。

 

「忌部塚の由来」 (きれいな画像お借りしました)

 

この地に入った一族(忌部族)は、この地に住んでいた民(先住民)に、

生き抜くための知恵を教え、植物の種を持ちこみ栽培することを教え、

何より「信仰心(神を信じる心)」を教えました。
 

神に向かう時の思い、そして、その神に向かう心が同じであれば、

民は、共に働き、助け合い、生き伸びる事が出来るという知恵。

彼らは、それが、「生き伸びるための最も大切な知恵」だと信じて伝え続けました。

思いを一つにすること。

思いを一つにして、その思いを天に向け、地に向け、

そして、心を合わせて「命」を繋いでいきました。

 

「『命』こそが、始まりの結び、天と地を結ぶ力」

 

大切な命を粗末にし、愚かな命の戦い合いをし、食べ物一つで殺し合っていた民に、

「生きる術を教えること」こそが、一族の使命であると考え、

遠き地から渡り伝わったその思いを彼らも信じ、

ゆく先々の地で、人々の思いを束ね歩いた民族の一つだそうです。

(Aさんからの情報です)

 

 

この地の昔の呼び名は「安房(あわ)」です。

徳島の「阿波」の忌部族が、(各地を経て?)この地に来たと言われています。

 

で、何のご縁か、2020年に別の神事でこの地を再来し、

その後すぐ、主人の思い付きで「GO TOキャンペーン」を利用、

激安で徳島に行くことができました。

 

 

その時の前準備のお勉強です。

 

【阿波忌部の精神(世界的普遍性)】

 

フロンティア精神
日本各地に進出し産業を伝播させた。

特に黒潮で房総半島に渡り麻や榖を植え開拓したが故に、

安房国、上総国、下総国の名が付けられた。「総」は麻の古語。


産業興しの精神
日本各地に進出し産業生活技術を伝播させた。

良質の麻・榖の技術は衣・食・住・漁協・建築技術を革新したが故に、

日本の産業創始の神として崇められた。


共存共栄の精神
千葉県館山市「安房神社」の忌部塚には、

房総半島に渡来すると開拓に力を尽くし、

農漁業・建築技術をもたらし、

先住民族とともに力を合わせて房総の地を切り開かれたとする。


平和の精神
千葉県館山市「安房神社」の忌部塚には、

先住民族とともに力を合わせて房総の地を切り開かれたとする。

7月10日には今でも報恩崇祖の捧げる忌部塚祭りが執り行われている。


相互扶助・共助の精神
茨城県結城市小森の「大桑神社」には、

阿波忌部なる者がこの地を通り、大桑の木が茂り、

その部落の人の欲するまま蚕を与え、養蚕の仕方を教えたとある。


利他の精神・救済の精神・仁の心
千葉県勝浦市名木 阿波忌部末裔の講演より、

自給自足をして天変地変で作物のできない時は、

近所の皆で分け合って命をつなげるのが忌部の義務だと教わった。

 

参照

 

 

つづく