始まりの奈良⑩ 5年経った今思うこと(その1)☆ | サリーのBe happy☆

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旅行のことからコミュニケーションのこと、日々のつれづれなど、記録もかねて綴っています。

奈良に行くことは、家族以外には言ってませんでした。

 

帰ってきてからも、すぐには話せませんでした。

話した相手は、例のスピ友3人だけ。

 

初めて話した時は、

全体像は見えておらず、奇跡的な体験を伝えたくてのことでしたが、

何からどう話すかも考えず、思い付くままに話したものだから、

気持だけが先走って支離滅裂、うまく伝えられませんでした。

 

今になってわかることは、

この奈良旅のは、例の”金銭トラブル(一説には”スピリチュアル詐欺”)の件が紐づけされて記憶されていたので、

この件を知らない人には話し出せなかったのだと思います。

ただし、Aさんを知ったきっかけを聞かれた時には、そのいきさつを説明することはありました。

ある場で、その説明が下手すぎて時間がかかりすぎて、そのことで衝撃的な体験をしたことがあり、

ますます触れたくない記憶になっていました。

 

先日Sちゃんちで、話の流れで”奈良旅の話”が、すんなり出てきて、

その流れのSちゃんの純粋な「問いかけ」に、

”スピリチュアル詐欺”の話を、笑いながら話しだしていました。

 

「今まで、誰(事件を知らない人)にも話していなかったことで、

 誰にも話せなかったこと。

 話しちゃいけないと思っていたんだけど、

 話しちゃった」

 

”解禁・公開”の時が来た、と思いました。

 

もうおいとまする直前だったので、

「詳しくはブログに書くね。

 絶対書くから」

と伝えながら、自分に約束しました。

 

その時、かすかな使命感?のようなものを感じました。

いえ、使命感のようなものとはちょっと違う感覚。

 

「書かねば」

こんな感じ?

 

蛇足ですが、

「風の谷のナウシカ」の原作本・・・主人の蔵書

映画とは、かなり違います。そして、深い。

意識レベルによって、受け取るものが変わってくるんじゃないかな?

 

 

 数年前の台風で、実家においていたこの子たちも雨漏り被害に遭いました。

7巻の損傷が激しく、新しい子になりました。

それも7巻2冊。

 

私が「7巻買ったよ」って、言ってたのに、絶対に言ったのに、

それからしばらくして、主人も「7巻注文したから」と。

 

この2冊の本を見るたび、

私の言うことを、ちゃんと聞いていないんだということが判明したことを思い出します。

 

 

.............................

 

5年経って、ブログを書くために、当時の画像をもとに当時のことを思い出し、

そして、そこにかかわる出来事の繋がりも見え、そこに発生した感情も含めて追体験し、

5年経って成長した今だからわかることが、たくさんありました。

 

まず、"金銭トラブル"に巻き込まれた原因ですが、大きなものとして2つ。

「承認欲求」と「お金」です。

 

「やりがい搾取」って知っていますか?

 

いいように使われてました。

人のためのボランティア。

楽しいんだからいいことと。

 

旅行関係に明るい主人の力も動員しながら、せっせとただ働き奉仕をさせていただいてたわけです。

そのうちに、こいつ使えると思われたのかな?

あれこれ要求が強くなってきて、あら?おかしいな、楽しくなくなってる。

そう気づいても、動き出した歯車を止めることはできず、

結局は、大変な結果になってからの強制終了。

 

原因は、強い承認欲求でした。

“承認”というニンジンを目の前にぶら下げられて、コントロールされていたのです。

相手だけのせいではなくて、”共依存”という関係性ができあがっていたのです。

 

承認欲求って、食欲・睡眠と同じ自然な欲求のようですが、

強すぎるとそれをエサに、人やモノにコントロールされることを学びました。

 

 

結果から判断すると、私にはものすごい承認欲求があり、

同時に自己肯定感がとても低かったということがわかります。

 

当時はあまり自覚なかったです。

親切・優しさ・人のためというきれいな言葉に意識を持っていかれていました。

 

まずは、自分にどれくらいの承認欲求があるかを、日々の行動を俯瞰的に確認することからです。

 

 

「お金」に関しては、

ありがたいことに、この時までお金に困った経験がありませんでした。

巳年生まれだからか?

大金を手にすることはなくても、お金がなくて、泣く泣く断念したという経験はなく、

必要なお金はある。

親もどうにかしてくれたって感じでした。

 

だから、「お金」に関する学びはないのかな?なんて高をくくっていたのかもしれません。

 

しかし、「お金」の学びというのは、とても幅が広く、奥も深く、ある意味多次元的なものでした。

 

スピ旅ですが、専業主婦にして、約1年半の間にアメリカ(セドナ・ホピなど)に3度も行くという派手なことをしてました。

それだけの軍資金がありました。

 

決して”へそくり”ではありません。

”へそくり”って、生活費をくすねているイメージがあります(笑)

やりくりできないタイプだったので、足りないことはあっても、貯めるということはできませんでした。

 

じゃ、どこからか。

それは、結婚する前から持っていた”持参金”と、

結婚してからも帰省の度に父からもらっていた”お小遣い”です。

 

父は、”お小遣い”を私に手渡す度に、

「お金のことで、めおと喧嘩せんとってくれ。

仲よ~せ~よ。

子にとって、親が仲がえ~のが何よりやけん。

(お金が原因で夫婦喧嘩はしないでくれ。

 夫婦仲良く。

 子どもにとって、両親の仲がいいことが一番うれしいことだから)」

と言っていましたっけ。

 

そんな父の願いむなしく、当時は夫婦関係最悪でした。

 

で、

その“お小遣い”は、夫婦円満のために使われることはなく、

自分のため、子どものために使いながら、

いつ別れても、しばらくの生活ができるための”離婚準備金”として蓄えられることになったのです。

 

それで根本的な問題が解決されるわけではなく、

そんな意識ですから、不幸街道まっしぐらなわけでした。

 

そして、ある時、江原さんの本を読んで、決心したんです。

 

「今世の課題をクリアーしないで来世に持ち越すと、

来世では、同じ課題が、もっと困難な状況で現れる。

今世の課題は、今世のうちに」

と書いてあり、

 

「この人との課題をクリアーしないと、

 来世でも夫婦?

 それは避けたい」と、


当時PTA役員で仲良くなった同じ課題を共有する友達と共に「速やかなクリアー」を誓ったのでありました。

 

意識が変わると、だんだんと変わってきます。

 

話は脱線しましたが、

結局のところ、その”持参金”と”離婚準備金”が、スピ旅に当てられたということです。

そして戻ってくるはずの旅行代金は戻ってこず、

それどころか、借金まで背負わされることにもなりました。

 

その現実を受け入れなければならないとわかった時、恐怖でした。

 

その時は、主人とは、そこそこいい関係だったのですが、

年に何回か定期的にやってくる発作のような感情。

 

主人のちょっとした言葉、態度に、反射的にスイッチが入ってしまい、

「もう無理。この人とやっていけない」と絶望的になっていまっていたのでした。

 

数日でおさまるのですが、

そんな時に役に立ったのが、

”いつでも別れられるという「お金」”があることでした。

”いつでも別れられるのだから、今決めなくてもいい”というふうに。

 

「お金」を失ったことは、”別れられる”という保険のような選択肢がなくなったことでした。

 

そして、借金の肩代わりまでしてくれた主人に、借りを作ってしまいました。

「借りを返すまで、別れられない」(と思い込み)、逃げ道がなくなりました。

 

そこで、強制的に覚悟を決めさされました。

「この人といるしかない。

 ならば共に進もうと」

 

その結果かどうかはわかりませんが、今は”旅友”としても仲良くやっています。

 

ブログ書いてて気づいたんです。

 

父からもらった”お小遣い”が、紆余曲折を経て、

まわりまわって、父の思いを叶えていたこと。

 

そのお金が、”別れる”ために使われたとしたら、

とんだ親不孝者になるところでした。

 

「人生、思い通りにはならなくても、なんとかなる。

なんとかどころか、うまくいってた!」

 

 

急に、もう一つ”伝えなければならないこと”を思い出しました。

長くなりましたので、次回にいたします。

 

 

ごきげんよう♡