子どもに向ける愛情の種類は
子どもの年齢で変わってくると思う
小学校に行く前の子どもって、
もし家の中に鍵かけて閉じ込めて放っておかれたら、
冗談でなく、死んでしまうかもしれない・・・
親がいないと命に関わる
下の子(4歳)を見ていると、
だから、あそこまで必死に親の愛を求めるんだなぁと思う
本能的にお母さんの愛情をつなぎとめようとする
そういう時期には、
たぶん求める限りの愛情を与えてあげる必要があるんじゃないかな
子どもにとってこの時期の親の愛情は
命に関わるくらい切実なもの
だから、そこが満たされなくて不安を持ったままでいたら、
本人も気付かない間にココロに傷がついてしまって、
大きくなった頃にそれが違う形で表に出て来たりする
小さい頃だったら、
「どうしたの?」って話を聞いてあげたり
「ギュッ」って抱きしめてあげれば
それですんでいたことが、
そのまま大きくなってしまったら、
・・・きっと、とてつもなく深刻な形で出たり、
凶暴な形で出たり、人を傷つけるような形で出たり、
そんな気がする・・・
子どもがもう少し大きくなって、
自分でどこかに歩いて行けたり、
自分でお腹すいていることに気がついて食べ物を探せたり、
怖いことがあったらそばの人に「助けて」って言えたり、
そうなったら、今度は逆にその子どもの存在を信じて
口出しせずにその子のやり方をじっと見守ってあげる
いつもベタベタして世話を焼くことだけが愛情ではなくて
「信じてあげること」が必要
そして、親自身も子どもに誇れる人生を送って
一人の人間としてその姿を子どもに見せてあげる、
そんなスタンスがいいかな、と思う
もちろん、これは想像の話だから
そう思って育てても、
実際に子どもがどんな風に育って行くかは
その時になってみなければ分からないけど
でも・・・
直感的にそんな気がする
(そんな気がしているのに
思った通りにできない自分に悩んでいるんだけど・・・)
段階によって人に求めるものの種類が違うというのは、
子どもの話だけではないかも
自分に自信がなくて不安で満たされない人は
「信じてるよ」と言ってちょっと距離を置かれても
その「距離」の意味がまだ分からない
自分は今のままでも愛される価値がある
足りないところはいっぱいあるかもしれないけど
自分の存在自体に価値があるんだ
そう感じられるまでは
それを確かめるために
人から認めてもらったり、人に理解してもらったりすることを
切実に求めてしまう・・・
人からの評価を必要以上に気にしてしまう
逆に、人から「対等」に意見を言われたりすると
それで自分が否定されているような気持ちになって
過剰反応してしまう
そんな人、結構いるような気がする
(私もそういうことがあったし、今でも落ち込むと
そんな気分になることも・・・)
結局そういう人たちが求めていることって、
もう大人だから
本当は子どものように誰かから愛情を与えてもらって
それで渇望感を満たすことではなく、
自分で自分のことが好きになりたい
今のままの自分でOKだって思いたい
ってことなんじゃないかな
そう考えると、まず『自分で自分を受け入れること』
これが全ての始まりなんだな・・・とつくづく思う
それがあって初めて、人との対等な関係が生まれて、
そこから小さな『よい流れ』が始まって、
その小さな流れがしだいに大きなものになって行く・・・
・・・ということは、
今私が、大きな流れをつくりたい・・・そう思っていて
でも、時々何かに行き詰まることがあるとしたら、
そんな時は自分に目を向けてあげて
まずは自分で自分を受け入れてあげること、
そんな地味で身近な作業が必要なんだなぁと
再確認しました。。。











が開けるくらい

